第4話:東京行き夜行バス

第3話からのつづき

「あんちゃん、そろそろ限界やで……」

イトウ八郎が、珍しく真顔で言った。

事務所の白い壁は黄ばんで、ポスターの角がめくれていた。

あの「質問教室」のホワイトボードは、今やスケジュールではなく、支払い予定のメモばかりが書かれていた。

「生徒は来とる。でも、教材は売れとらん。月謝だけじゃ、ウチの家賃も講師のバイト代も出ぇへん」

しかしタクミは、まだ笑っていた。

「けどオヤっさん、人気はあるんやで? 見てみ、昨日なんか質問で満席やったんや。人は集まっとる。人が集まるとこに、金は流れる。これは“仕込みの時期”ですわ」

1980年代。
島田タクミが大阪に「上陸」した頃。
教材販売は“熱”を持っていた。

「偏差値は伸びます!」
「塾はもういらん時代です!」

そう言い、教材とセットで夢を売りつける。

その商法に異を唱える親など、ほとんどいなかった。

だが、1990年代に入ると、空気が変わった。

少子化が始まり、生徒の数がじわじわと減っていった。

高校生の数が減る。
それはつまり「カモ」が減るということだった。

さらに、教育のかたちも変わり始めていた。
学校で「増筋ハイスクールの授業」が映像で見られるようになったのだ。

「ゾウキン・サテライト」と呼ばれるシステム。

あらかじめ録画されたカリスマ講師の授業を手軽に学校の教室のテレビで見れるサービスを取り入れる高校が増えてきた。

さらに駅前には、増筋ハイスクールのビデオ映像が見られる「ゾウキン衛生教室」が続々とオープン。

塾が、もっと気軽に、もっと安く、もっと「信用できる形」で生まれ変わっていた。

「教材は、時代遅れや」

保護者の口から、そんな言葉が漏れるようになった。

「指導が欲しいんです」
「面倒見のいいとこに通わせたいんです」

時代はサービスを求め、教材はただのモノと化した。

教材販売という商売は、確実に風化しはじめていた。

そんな中で、タクミは、一線を越えた。

「島田先生に個別指導してもらってるんです」

そう言って通っていた、制服姿の女子高生。

「ちょっと進路の相談にのっただけや」そう言い張るタクミ。

だが、その“相談”は、深夜のファミレスを経て、コンビニの裏での缶コーヒーになり、やがてビジネスホテルのロビーへと変わった。

数日後、その女子生徒は教室に現れなかった。
そして、その生徒の母親から、電話が入った。

「娘が泣いて帰ってきました。何があったんですか」

教室は凍りついた。
講師のひとりが辞めた。
別の女子生徒も来なくなった。

イトウは、静かに言った。

「あんちゃん、“塾ごっこ”で終わらせときゃよかったんや」

タクミは口ごもった。

「……オレは、まだ終わってへん」

その言葉を最後に、イトウの販社は解散した。

イトウは堺に戻るという。

「教材屋の時代は終わりや。質問教室も、もう潮時や」

タクミは笑おうとしたが、唇の端はわずかにも動かなかった。

「あんちゃん、大阪でお前の顔は売れすぎた。どこ行っても、なにかしら噂になっとる。……もう、居場所はないやろ」

その夜。

タクミは、南港のバスターミナルにいた。

ボストンバッグひとつ。
名刺を束ねた輪ゴム。
スーツはアイロンが甘く、靴のソールはまたガムテープで留められていた。

バスが滑り出す。

タクミは、窓の外に広がる大阪の街並みを、じっと見ていた。

「思えば、あのときや。全部、勘違いしたのは」

灯りの滲んだ夜景が揺れて見えた。

「教材を売っとるんやなくて、“夢”を売ってるつもりになっとった」

そんな独り言を呟きながら、ポケットからひとつ、名刺を取り出す。
 
島田巧/進学アドバイザー・塾長
(裏面:教育相談受付中)

「……東京や。ワシの“本番”は、ここからや」

誰に見送られるでもなく、島田タクミは大阪を去った。

だが、それが後に始まる「虚妄の祭宴」の始まりだった。

第5話へつづく