第6話:質問教室、再び

第5話からのつづき

JR大久保駅・南口。

線路沿いを新宿方向に歩いて1分。
駅からは近いが、やけに空気が雑な通りだ。
韓国食材店、安居酒屋、怪しいリラクゼーションサロン。

その合間に「第一教科書」という地味な書店が、ひっそりと佇んでいる。
東京都内で学校指定の教科書を取り扱う、由緒ある店。

タクミはその前を、今日も素通りする。

ふと、胸の奥がザラッとするのを感じるが、気にせずポケットに手を突っ込んだ。

「教科書屋と教材屋は似て非なるもんや。あっちは“正しい勉強”、こっちは“売れる夢”や」

そう言いながら、百人町の裏路地へと吸い込まれていく。

築40年、2階建ての木造アパート。
風呂なし、共同トイレ、家賃3万8千円。
その2階の一室、4畳半に、塾が開設された。

いや、塾と呼ぶには、あまりにチープだった。

机はちゃぶ台。
椅子はコンビニ前で拾ったパイプ椅子。
ホワイトボードは、近所のリサイクル屋で2,000円。
電話は赤いビル教材会社のゴミ捨て場から持ち帰った黒電話。

だが、ドアの外には手書きのプレートが貼られていた。

『関東学力増進機構(仮)・質問教室』

「うん、ええやん。これは“組織”や」

タクミは満足げにうなずいた。

名刺も新調した。

総合教育アドバイザー・塾長/島田匠
関東学力増進機構(仮)
(“仮”の文字はやたらと小さい)

「問題は、どうやって生徒を呼ぶかやな……」

思い出したのは、あの大阪時代。
質問教室で“塾長ごっこ”をしていた日々。

あの頃は、それで飯が食えた。
それをもう一回、やったらええ。

タクミは再び、電話を握った。
購入したのは、都内の高校2年生・3年生の住所リスト。

中野の名簿業者が「今月の新ネタや」と言って売ってきたやつだ。

「もしもし、◯◯くんのお宅ですか?進学の支援をしてる教育機構なんですが──」

「塾って月にいくらかかってます?うちは無料の“質問教室”ってのをやってるんです。勉強で分からんとこあったら、来てもらえればワシが教えますよ」

最初は断られる。

だが、声のトーンを変えて、親ではなく、子どもに出てもらえたらチャンス。

「君、親孝行やろ? 塾代、親に出させへんって、立派なことやで」

そして畳み掛ける。

「ほんでな、ウチ来たら、おっちゃんが東大流で教えたるわ」

そんなトークで、数日後のこと。

「……ここ、ですか?」

制服姿の男子高校生が、プレートを見上げていた。

「おう、来たな! よう来た、偉いぞ!」

タクミはドアを開けて、ちゃぶ台横の椅子を引いた。

「で、今日は何が分からん?」
「……英語の長文が……」

タクミは問題を一読して、ボールペンを構える。

「これはな、“傍線部”の意味が、お前自身の人生や」
「……えっ?」
「ええか、人間いうのはな、“傍線部”の意味を考えられるかどうかで決まるんや」

──“塾長ごっこ”、再開。

だが、今回は違った。
名刺がある。チラシも刷った。

そしてプレートには、「関東学力増進機構」と書かれている。

最初は週に一人。
そのうち、口コミで三人、四人。

駅前のマックで進路相談を装い、帰り際にパンフレットを手渡す。

「この教材セットは“志望校突破パック”。今日来た君だけ、特別価格にしとくから」

教材は、他社の在庫処分セットを詰め合わせただけ。
でも、袋にロゴさえ貼れば、それっぽく見える。

月に3件、契約が取れれば生活は回る。

質問教室に来た子に教材を売る。
月謝も取らない。質問はタダ。
でも最後には、「教材があれば、もっと伸びるで」と笑う。

ある夜。

誰もいない質問教室のちゃぶ台で、タクミはひとり笑っていた。

「……学力増進しとるのは、オレのほうやけどな」
 
第7話へつづく