──1990年代、大久保。
バブル崩壊後の東京は、あらゆるものが色を失っていた。
新宿から徒歩圏内、線路沿いのこの街も例外ではない。
シャッターを下ろした店舗。
誰もいないオフィス。
空きビルに、薄汚れた「テナント募集中」の張り紙。
だが、その隙間をぬって、小さな塾が静かに息を吹き返しつつあった。
関東学力増進機構──通称、カンゾウ。
島田タクミの作った、どこよりも怪しい、しかしどこよりも熱い「塾もどき」。
毎日、狭い自習室には生徒が溢れた。
大久保駅から5分の2LDKアパート「総本部」では、電話営業と事務作業がパンク寸前だった。
タクミは、ちゃぶ台の上に山積みの資料を蹴散らしながら叫んだ。
「ワシら、でっかくなるで!!風が吹いとるんや──バブルの彼方からな!!」
──だが、現実は厳しかった。
近所の別のビルの1室に格安でスペースを借り、自習室としてはなんとか機能させているが、狭い総本部には、生徒を呼び込むための設備も、人員も足りない。
かといって、いきなりビルを借りる信用も、コネもない。
そこで、タクミは動いた。
夜の大久保。
安い飲み屋のカウンターで、独り酒をあおる男に声をかけたのだ。
男の名は、赤沢勇人(あかざわはやと)。
元都市銀行の銀行マン。
バブル時代、巨額融資に奔走したが、不良債権の処理で責任を押し付けられ、左遷。
最終的に自ら銀行を去った男だった。
「俺は悪くない……俺は、精一杯やったんだ……不動産屋に貸せ、貸せって、上がうるさかった……そしたらバブルが弾けたんだ……なんで俺が悪いんだ……」
カウンターに向かって呟き続けるその姿に、タクミは確信した。
(こいつ、使える)
──翌朝。
アカザワは、なぜか総本部のちゃぶ台の前に座っていた。
「……で、うちの“総本部”や」
「え?ここが……?」
「せや!夢と希望の発射台や!」
タクミは笑顔で言った。
アカザワは目を細め、カビ臭い部屋を見渡した。
(……これはヤバい)
しかし、元銀行マンの彼にはわかっていた。
タクミが抱えるキャッシュフローが、想像以上に健全であることを。
年会費制で現金回収。
支出は最低限。
経費をかけず、粗利率が異様に高い。
「……銀行から融資を受けずにやるなら、やりようはあります」
アカザワは、すっと答えた。
タクミはさらに動いた。
大阪時代、イトウ八郎の下で教材営業をしていたときの仲間たち。
今は行き場を失い、パチンコ屋の景品係や、日雇い労働で食いつないでいる彼らに、声をかけた。
「東京で一発、当てへんか?」
すると──
ぞろぞろと、濃い男たちが大久保に集まった。
口八丁手八丁、電話営業のプロ集団。
酒と女に弱く、金遣いも荒いが、営業力だけはピカイチ。
彼らは、ちゃぶ台を囲んで電話をかけまくった。
「お母さん!うちなら、現役で大学行けますよ!」
「志望校合格、保証するわけではないけど、目指す力はつけます!」
「今なら特別コースもありますよ!」
そして、生徒はさらに増えた。
現金も、みるみる溜まった。
アカザワは、それを見ながら、黙々と計算していた。
(これだけのキャッシュ……。今なら、ビルオーナーも口説き落とせる……!)
第11話へつづく