第10話:風はバブルの彼方から

──1990年代、大久保。

バブル崩壊後の東京は、あらゆるものが色を失っていた。

新宿から徒歩圏内、線路沿いのこの街も例外ではない。

シャッターを下ろした店舗。
誰もいないオフィス。
空きビルに、薄汚れた「テナント募集中」の張り紙。

だが、その隙間をぬって、小さな塾が静かに息を吹き返しつつあった。

関東学力増進機構──通称、カンゾウ。

島田タクミの作った、どこよりも怪しい、しかしどこよりも熱い「塾もどき」。

毎日、狭い自習室には生徒が溢れた。

大久保駅から5分の2LDKアパート「総本部」では、電話営業と事務作業がパンク寸前だった。

タクミは、ちゃぶ台の上に山積みの資料を蹴散らしながら叫んだ。
「ワシら、でっかくなるで!!風が吹いとるんや──バブルの彼方からな!!」

──だが、現実は厳しかった。
近所の別のビルの1室に格安でスペースを借り、自習室としてはなんとか機能させているが、狭い総本部には、生徒を呼び込むための設備も、人員も足りない。

かといって、いきなりビルを借りる信用も、コネもない。

そこで、タクミは動いた。

夜の大久保。

安い飲み屋のカウンターで、独り酒をあおる男に声をかけたのだ。

男の名は、赤沢勇人(あかざわはやと)。
元都市銀行の銀行マン。

バブル時代、巨額融資に奔走したが、不良債権の処理で責任を押し付けられ、左遷。
最終的に自ら銀行を去った男だった。

「俺は悪くない……俺は、精一杯やったんだ……不動産屋に貸せ、貸せって、上がうるさかった……そしたらバブルが弾けたんだ……なんで俺が悪いんだ……」

カウンターに向かって呟き続けるその姿に、タクミは確信した。

(こいつ、使える)

──翌朝。
アカザワは、なぜか総本部のちゃぶ台の前に座っていた。

「……で、うちの“総本部”や」

「え?ここが……?」

「せや!夢と希望の発射台や!」

タクミは笑顔で言った。

アカザワは目を細め、カビ臭い部屋を見渡した。

(……これはヤバい)

しかし、元銀行マンの彼にはわかっていた。

タクミが抱えるキャッシュフローが、想像以上に健全であることを。

年会費制で現金回収。
支出は最低限。
経費をかけず、粗利率が異様に高い。

「……銀行から融資を受けずにやるなら、やりようはあります」

アカザワは、すっと答えた。

タクミはさらに動いた。

大阪時代、イトウ八郎の下で教材営業をしていたときの仲間たち。
今は行き場を失い、パチンコ屋の景品係や、日雇い労働で食いつないでいる彼らに、声をかけた。

「東京で一発、当てへんか?」

すると──
ぞろぞろと、濃い男たちが大久保に集まった。

口八丁手八丁、電話営業のプロ集団。
酒と女に弱く、金遣いも荒いが、営業力だけはピカイチ。

彼らは、ちゃぶ台を囲んで電話をかけまくった。

「お母さん!うちなら、現役で大学行けますよ!」

「志望校合格、保証するわけではないけど、目指す力はつけます!」

「今なら特別コースもありますよ!」

そして、生徒はさらに増えた。
現金も、みるみる溜まった。

アカザワは、それを見ながら、黙々と計算していた。

(これだけのキャッシュ……。今なら、ビルオーナーも口説き落とせる……!)

第11話へつづく