第1話:命の電話

ここは、カンゾウ。

正式名称──関東学力増進機構。
中堅予備校の中でも、なぜか「中堅大手」と自称してはばからない存在である。

常時在籍する生徒数は200人以上。
多い時は300人に近づくこともある。

東大をはじめとする国立大学、あるいは医学部医学科といった難関に合格する生徒もいれば、通信制高校に通う元ニート、専門学校志望で偏差値40台をさまよう生徒までが在籍している。
とにかく、色とりどりの「受験生」たちが集う珍妙な予備校だった。

集客方法は、平成の時代には珍しい手法が取られていた。

電話営業である。

インターネット?
SNS?
チラシ?
そんなものは、知らん。

これが、カンゾウ塾長の島田タクミの方針である。
 
カンゾウの生徒たちは、皆電話で集められた。

ある日、突然かかってくる一本の電話。

「こんにちは〜、いま関東の受験生を支援してる大学受験相談センターの者ですけど〜、受験について、ちょっとお得な情報がありましてぇ……!」

いきなり「カンゾウ」や「関東学力増進会」とは名乗らない。
どこにでもありそうな「大学受験対策センター」という、「いかにも」な名称をまずは名乗って、親や保護者の関心を引く。
この時点では、まだ「塾」とも「予備校」とも名乗っていないので、勧誘電話だとは気づきにくい。
こうして、向こうが「塾からの営業電話だ」と気づく前に、営業トークで保護者や生徒の懐に入り込めばしめたもの。あとは、「ためになる受験対策説明会を無料で行っているので、よろし買ったら来ませんか?」と勧誘をし、高田馬場のカンゾウビルにまで来させれば半分入ったもの同然なのだ。

受話器を握る営業マンたちは、
その電話を「命の電話」と呼んだ。
いや、呼ばされていた。

「いいかお前ら、今日も気合い入れて、命の電話かけんかい!!」

このような怒号が毎日飛ぶ。

彼らは、マイクの前に座ってるわけじゃない。
舞台にも、リングにも立ってない。
ただ、電話の受話器を握っている。
いや、受話器をガムテープでぐるぐる巻きにして電話をかける。

トイレに行く時は、電話本体からコードを外して、受話器を手に巻きつけたままトイレに行くことが決まりだった。

彼らは1日約7時間、名簿の上から順に電話をかけまくる。
ギャンブルでも、芸能でもないが、彼らの人生は、あまりにも刹那的だった。

彼らのほとんどが「フルコミ契約」を選択してカンゾウで働いていた。

フルコミ(フルコミッション)契約。
給与が固定給ではなく、成果に応じて完全に変動する報酬体系のことだ。

取れれば天国、取れなければ無収入。
まさに諸刃の剣だ。

契約を取れる月もあれば取れない月もある。
大金を手にしても、ギャンブル、風俗、飲みなどで、瞬時に蕩尽してしまう人間も多い。

すでに時代は、電話営業に冷たくなりつつあった。
それでも、契約を取れれば、大金が転がり込んでくる。
 
しかし多くの営業マンは、ジリジリと、沈んでいく。

それでも、今日もまた、受話器を握る。

「──まだ、ワンチャンあるかもしれない」

そんな夢を見ながら。

このカンゾウの営業部隊には、あまりにも濃すぎる人間たちが集っていた。

19歳、専門学校を休学して「一発逆転」を狙う若者。

75歳、年金では物足りず、電話にしがみつくロートル。

バツ3のおっさん。

元・金融屋。

元・都立高校の教師。

自称・元厚労省ノンキャリア。

謎のゴスロリ女帝。

中卒で新聞配達をしていた若者。

「関東上陸部隊」と呼ばれている電話営業の部屋には、カンゾウの生徒たちと同じように、さまざまな人間たちが集っていた。 

ほぼ全てが「ワケあり」な連中。

学校では決して教えてくれない人生、だが確実に存在する「誰かたち」の人生街道を歩いている者たちが集う場所。

ここは、教育機関にして、虚妄と刹那の戦場だった。

そんな戦場で、刹那を生き抜いた「兵士たち」の物語を紡いでいこう。

最初に登場するのは、この男──。
「金だ、金だ」の金田である。

金がすべて。
金がなければ、明日もない。
金を得るためなら、魂だって売る。
それが、金田だった。

さぁ、開幕しよう。
刹那に生き、刹那に沈んだ、彼らの、命の火花を──。
 
第2話へつづく