その男がカンゾウ・関東上陸部隊に来たのは、ある蒸し暑い梅雨の午後だった。
白いポロシャツ。
彼は営業室に現れた。
肌は不自然なくらい色白でツルンとしており、汗に濡れた周囲の社員たちとは明らかに質感を異にしていた。
そして、口元に浮かぶニヤリとした笑み。
本人にその意識はないのだろうが、人によってはどこか人を見下すようにも受け取れるその笑みが、室内の空気をわずかにざわつかせた。
──名前は、山野上太一(やまのうえたいち)。
元・厚生労働省ノンキャリア職員だという。
「いやあ、こんなところで働くことになるとは思いませんでしたよ」
面接のとき、ヤマノウエは鼻にかかった笑みを浮かべていた。
「僕ね、一応、国の役人だったんで。営業トーク? まぁ楽勝でしょう。説明するの、慣れてますから」
採用担当者たちは、一応、ニコニコして聞いていた。
(こりゃ……こじらせてんな)
そんな感想を、胸の奥にしまいながら。
◆
現場に配属されたヤマノウエは、とにかく「自分語り」が多かった。
「僕が厚労省にいた頃はね──」
「霞が関じゃね、もっと合理的に物事を考えるんですよ──」
「あなたたち、なんでそんなにアナログなんですか?(鼻で笑いながら)」
電話の向こうの親にも、生徒にも、無駄に難しい言葉を並べるばかりで、心に響くことは、まずなかった。
そんな彼の背中を見ながら、営業室の誰もが心の中で思っていた。
(官僚いうけど、キャリアちゃうやん、ノンキャリやん)
◆
当然、ヤマノウエの成績は上がらない。
アポゼロ。
契約ゼロ。
昼休みには、厚労省時代の話を延々と続け、誰もいない窓際で、缶コーヒーをすすっていた。
──やがて、彼の外見に変化が現れ始めた。
白髪。
ゲッソリとした頬。
乾いた笑い。
胃に穴が空いたという噂も流れた。
「……このまま、俺は……終わるのか……?」
喫煙室で、誰にともなく、ヤマノウエがポツリと呟いたのを、営業仲間たちは聞いていた。
誰も何も言わなかった。
カンゾウでは、「人生の終わり方」も、自己責任だった。
◆
ある日。
ヤマノウエは、突然いなくなった。
机の上には、かつて彼が誇らしげに飾っていた「元・厚生労働省勤務」の名刺だけが、ぽつんと残されていた。
「……また消えたか」
誰かがつぶやいた。
そのとき、古参の営業マンがポツリと呟いた。
「官僚、官僚言うとったけど、あいつの営業人生も、これで完了やな」
誰も笑わなかった。
ただ、少しだけ、灰皿の煙が寂しそうに揺れていた。
第4話へ続く