彼女は、最初から、異彩を放っていた。
名前は、アズミ。
カンゾウ営業室にふらりと現れたその日、誰もが目を見張った。
黒いゴスロリワンピースに、編み上げブーツ。
カチューシャにはレースとリボン。
パッと見、年齢は……
二十代後半?
だが、よく見ると──
首筋にはうっすらと皺が刻まれ、笑うと目尻に深い影が落ちた。
(……40代か? いや、50代いってるかも……)
誰もが心の中でそっと思った。
──だが、誰も口には出さなかった。
◆
彼女の最大の武器は、その声だった。
アニメ声。
ハイトーンで甘ったるい。
それでいて、なぜか耳に心地よい。
そして、驚くほどのトーク力。
「はぁい、こんにちは〜♪ 今日も素敵な声でお電話しちゃいますねぇ〜」
誰が相手でも、柔らかく溶かしてしまう。
「え? 受験? もうすぐ? それは心配ですね〜」
「でもだいじょ〜ぶ! ここのお兄さんが、こっそりすっごい情報を教えちゃうんだぞっ」
この天然ぶった変幻自在の話術に、高校生も保護者も、コロリと落ちた。
◆
営業成績は、常にトップクラスだった。
電話アポは誰よりも多く、クロージング(契約成立)もバンバン決める。
しかも──
彼女は、時々「現場」にも顔を出した。
入塾説明に来た生徒には、軽く問題を出して、可愛く微笑みながら教える。
「こことここ、繋げばわかるよぉ〜」
男子生徒は鼻の下を伸ばし、女子生徒は「かわいい!」と目を輝かせた。
──気がつけば、彼女に心酔した生徒が、自分から「ここに入りたい!」と言い出す始末。
(何やこの無双……)
営業マンたちは、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
◆
だが──
完璧ではなかった。
最大の欠点は、遅刻癖だった。
週に一度の頻度で遅刻する。
「電車が止まっちゃってぇ〜」
「三軒隣の家が火事になってぇ〜」
「ハムスターが逃げちゃってぇ〜」
などなど、小学生のような理由で遅刻してくる。
しかも、30分〜2時間以上の遅刻はザラだった。
◆
さらに、彼女には、もうひとつ謎があった。
──いつも、高級車が迎えに来る。
──しかも、男が違う。
──しかも、2〜3ヶ月ごとに変わる。
迎えに来る男たちは、外車に乗り、スーツ姿の中年だったり、アロハシャツの怪しげな男だったり、不思議なバリエーションだった。
(……あれ、全部、別々の男やな?)
(囲っとるんか?)
(逆に、男たちが釣られとるんか……?)
誰も、真相を知らなかった。
いや、怖くて誰も踏み込めなかった。
◆
それでも、彼女はカンゾウに必要なアポインターだった。
数字がすべて。
売上を立てる限り、誰も彼女に逆らえなかった。
(遅刻? まあええやろ……アポ取っとるし)
(男? まあええやろ……契約取っとるし)
営業部隊の掟は、ただひとつ。
「結果を出せば、すべてが正義」
だから、アズミは今日も、あの甘ったるい声で電話をかける。
──ある日。
ちょっとした出来事があった。
営業室の冷蔵庫に、アズミが持ってきたお茶のペットボトルが入っていたのだが、誰かがラベルを見て、つぶやいた。
「……煎茶かいな。しかも“大人の渋み”って書いとるやつやん」
その瞬間、みんな、なんとなく察した。
──ああ、やっぱりオバちゃんや。
誰も、何も言わなかった。
空気だけが、うっすら重たくなった。
◆
「こんにちはぁ〜。今日も、夢と希望をお届けしまぁす♡」
カンゾウの営業室に、また、奇妙な甘い声が響き渡った。
第6話へつづく