Zoomの接続が完了するまでの三秒が、やけに長く感じた。
小川莉奈(おがわりな)は、軽く息を吐いて画面を見た。
出てきたのは、フクロウのアバター。
名前の欄には“W.Navi”とだけ表示されている。
声はまだ聞こえない。
音声がつながるのを確認するまで、彼女はモニターの前でじっと待っていた。
「あ、……初めまして、小川です」
相手はすぐに返した。
「こちらこそ、はじめまして。どうぞ、ご自由にお話しください」
落ち着いた、低く滑らかな声だった。
リナは一瞬だけためらい、それから笑った。どこかで聞いたことのあるセリフだったからだ。
「……それ、私がよく言ってたやつですね。昔の動画で。『今日は台本なしで喋ります。ご自由にお付き合いください』って」
「そうでしたか」
W.Naviの声に、感情の波はなかった。
ただ、聞き手としての構えは伝わってきた。
何から話せばいいのか、自分でもよく分からなかった。
でも、話すために来た。黙っていては意味がない。
「2年ぐらい前から、動画を投稿してます。最初は、友達に“話すの向いてるよ”って言われて、半分遊びみたいな気持ちで始めたんです。夜中にスマホで10分ぐらい喋って、それをそのままアップして。顔も照明もぐちゃぐちゃで。内容も日記みたいなものでした」
その声には、当時を懐かしむ響きがあった。
「でも、思ったより再生されて。チャンネル登録者も増えて……知らない人から“動画、好きです”ってDMが来るようになって。嬉しかったです、ほんとに」
笑いながら言ったが、そこには少しだけ、昔を懐かしむような乾いた響きが混ざっていた。
「ファッション専門学校の子とコラボとかもして、あの頃は楽しかったなぁ」
思い出を口にしたリナの表情は、わずかにほころんだ。
「で、調子に乗ったんでしょうね。ライトとかマイクとか揃えて、BGM入れて、編集も勉強して。服も、背景も、部屋の飾り方も“動画用”になっていって──“ちゃんと作ろう”って思えば思うほど、再生回数が気になりだして」
リナは少しうつむいた。
言葉を探すように、息を吸ってからまた続けた。
「今、週に3〜4本アップしてるんですけど……最近、どこかで“喋るために喋ってる”っていう感覚があって。」
ひと呼吸おいた後、再びリナは話しはじめる。
「視聴者のリクエストにも応えなきゃって思って、やってみるんですけど……“前の方がよかった”ってコメントが来ると、それが気になって、また違う方向を考えて……。でも何が正解かわからなくなってきて。どっちに行っても“なんか違う”って思われる気がして──」
フクロウのアバターは無言でゆっくりと揺れている。
「サムネを作る手が止まるんです。自分の顔を見て、“これ、本当に今の私なのかな”って思う瞬間が増えて。……視聴者にウソをついてるってわけじゃないんですけど、私自身が、“この私”を信じられなくなってるというか」
沈黙。数秒の静けさ。
けれど、W.Naviは相変わらず反応を急がなかった。
リナは少し笑って言った。
「……言葉、届けたくて始めたのに、最近は“数字が減らないための投稿”になってる気がして」
彼女の声がいったん途切れる。
その一瞬の沈黙に、葛藤のようなものがが滲んでいた。
「成績表を見てるみたいなんです。再生数とか登録者数とか。医学部入試のときみたいに、下がると“何かをサボってる”って思ってしまう。でも、今は別に誰に競ってるわけでもないのに、です」
もう一度、息を吐いた。
そして画面の向こうにいる無表情のフクロウに、ゆっくりと言った。
「私、どうすればいいんでしょうね?」
画面のなか、W.Naviは少しだけ首をかしげたように見えた。
──いや、アバターだから、たぶん動いてなどいない。
でも、確かに“こちらに顔を向けた”ように感じた。
「……話は以上です。長くなってすみません」
「いえ。よく伝わりました」
「……助けてほしいんですけど」
W.Naviは、少しの間を置いて言った。
「深さの話を、しましょうか」
後編につづく