第2話:数字に揺れる私(後編)

前編からのつづき

「深さの話を、しましょうか」

そう言ったとき、画面の中のフクロウの目には、やはり何の変化もなかった。
でもその声には、ごくわずかに──ほんのわずかに──暖かさがにじんでいた気がする。

リナは黙って頷いた。

「あなたの動画を、私は全部見ているわけではありません」

「はい、それはもちろん」

「ただ、ご自身が話していた“最初の頃の動画”、夜中にスマホで撮っていた頃の話。あれが今も、ご自分の中で“良かった時間”として残っているのは、偶然ではないと思います」

リナは少し目を細めた。
W.Naviは、静かに続ける。

「人気が出たのは、あなたが“自分の言葉”で話していたからです。今は、“誰かの期待に応えようとする言葉”が、あなたを追いかけているように感じました」

「……はい、それは……あると思います」

「では、視点をひとつ、変えてみましょう」

「変える……?」

「たとえば、2年前に投稿した動画。あなたは“もう語り尽くした”と思っているかもしれませんが、実は──“今のあなた”だからこそ語れることが、きっとあります」

リナは一瞬黙り、視線を少しだけ逸らした。

「過去の動画を“語り直す”んですか?」

「いえ。“撮り直す”必要はありません。“語り直す”だけでいいんです。過去のあなたが残した言葉に、今のあなたがひと言だけ添える。それだけで、視聴者には“深さ”が伝わります」

「深さ……」

彼女は口の中で転がすように繰り返した。

「人気というのは、一時的な“驚き”で得られるものでもあります。でも、それが“続く”のは、過去と今が“つながっている”人だけです」

W.Naviの声は変わらない。一定のリズムで、呼吸のように言葉を落としてくる。

「あなたは、もう“見つけてもらう時期”を終えています。これからは、“忘れられない人になる”ための表現をすればいいんです」

「……でも」

リナは言った。

「チャンネル登録者数、たまに減ると、落ち込むんですよ。やっぱり。私がつまらなくなったからかなとか、前の方がよかったのかなとか。そういうの、いちいち気になって……」

「それは、成績表を見る感覚に近いかもしれませんね。ですが、成績は“他人と比べるための数字”です。再生数や登録者数は、“つながっていた時間の記録”とも言えます。減ったとき、自分を責める必要はありません。ただ、“続いていること”そのものが、すごいことなんです」

沈黙が落ちた。

リナの方が先に口を開いた。

「……続けるだけで、いいんですか?」

「はい。続けるというのは、毎回全力を出すことではありません。“定期的に何かが届く”という安心感が、人との関係を保ちます。それは、テレビやラジオを“時間になったらなんとなくつける”感覚にも似ています。“毎回、すごくなくていい”。むしろ、“すごくない回があること”が、親しみをつくります」

リナは、やっと肩の力が抜けたように見えた。

それまでモニター越しにも感じていた緊張が、ふっと緩んだ。

「たしかに……ヒカキンさんの動画だって、毎回“神回”ってわけじゃないですもんね。でもなんか見ちゃう。落ち着くというか。サザエさんを日曜日に見る感覚に似ているのかな」

「そういう動画を、視聴者は“好き”と呼びます」

W.Naviはそう言って、一拍置いた。
そして、少しだけ声を落とした。

「惰性も、ひとつの“信頼”なんです」

リナは、何も言わなかった。
ただ、その言葉をしばらく咀嚼していた。

やがて、彼女は画面の向こうに、もう一度、軽く頭を下げた。

「……ありがとうございました。今夜は動画、アップせずに寝ようと思います。でも、明日……過去の動画をもう一回見てみます。自分で」

「きっと、今のあなたにしか見えないことがあると思います」

Zoomの画面が静かにフェードアウトしていく。

通話が終了した。
モニターが暗転する。

和波知良(わなみかずよし)は、椅子から静かに立ち上がった。

電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れる。
音もなく静まる部屋に、ふつふつと湯の沸く音が満ちていく。

豆は挽いてある。
カップもあたためてある。
彼は湯が沸くのを待った。
ドリッパーにゆっくりと湯を注ぎ、じわじわと膨らんでいく豆の層をじっと見つめる。
時間は、ただ流れていく。

一口、含む。
少し苦味が強い。
けれど、それでいい。
彼はゆっくりと、カップを置く。

コーヒーの香りに包まれながら、彼はぽつりと口を開いた。

「続いていることが、“すごいこと”なんです。」

第3話へつづく