Zoomの画面に映るフクロウは、身体を左右にゆらしながら、一回瞬きをした。
「“共感”と“理解”は、まったく別物です」
Wの声は、柔らかく、しかし芯がある。
「共感とは、相手の価値観や感情に“自分もそう思う”と寄り添うこと。理解とは、たとえ自分と違っても“こう考えているのだな”と捉えることです」
フルタは、ゆっくりと頷いた。
「……でも、共感できないと、理解もできないような気がして」
Wは言葉を継ぐ。
「それは日本人に特に多い思い込みです。“わかる”ためには“同じ気持ちにならないといけない”と思ってしまう。でも、本来“理解”とは、感情の一致ではなく、情報の整理と構造の把握です」
そして、Wの語りは──ある戦時下のエピソードに及んだ。
「第二次世界大戦中、アメリカは日本を理解しようとしました。“理解”しなければ、勝てないと思ったからです。その結果、語学兵を大量に育成し、文化や宗教、国民性に関する膨大な研究を行いました」
フルタの眉が、わずかに動いた。
「その中から、ルース・ベネディクトの『菊と刀』が生まれ、マッカーサーの占領政策に役立てられました」
Wは間を与えず、静かに畳み掛ける。
「でも、彼らは日本人に共感していたわけではありません。ただ“理解”しようとしただけです。なぜなら、理解すれば、攻略できるからです」
フルタの顔が引き締まる。
Wは続けた。
「若い人たちも同じです。“使う”というと言葉が悪いかもしれませんが、上司のあなたが成果を出すためには、彼らを“理解して動いてもらう”ことが必要です」
一瞬の間を置き、Wの声がヘッドセット越しに耳へと届いた。
「彼らは“仕事に共感して動きたい”と思っている。でもそのためには、“自分の納得”が必要なんです。それを邪魔するのが、上司の価値観の押し付けです」
フルタの眉間に、わずかな皺が寄った。
「“俺が若い頃は…”は、彼らの行動を止めます。“お前らは間違っている”と言っているのと同じですから」
フルタの視線が、わずかに鋭くなる。
「ではどうするか?」
Wはひと呼吸おいて、言った。
「若い人に“共感”する必要はありません。でも、彼らが“なぜそう考えるか”を調べ、観察し、理解することは、あなたの責任です」
フルタは、ぐっと唾を飲み込む。
上司としての役割を「優しさ」と取り違えてきたのではないか──そんな疑念が、心にじわじわと広がっていく。
「それは情けでも優しさでもなく、戦略です。相手のルールを知れば、あなたの指示も彼らに届きます」
そして、こう続けた。
「今、白ハラ、いわゆる“ホワイト企業ハラスメント”という言葉が話題になっています」
フルタが、少し目を丸くする。
「会社側が気を遣いすぎて、新人の成長機会を奪ってしまうことです。『あれやらせたら辞めそう』『これは重すぎるかも』と配慮しすぎるあまり、本人のやりがいや、学びの場が失われてしまうのです」
ひと呼吸、間が空いた。
「本来、向上心のある若者には、負荷が必要です。彼らは信頼されたい、成長したいと思っています。過保護は、善意に見せかけた“放棄”です」
フルタは、思わず背筋を伸ばした。胸の奥に、言い訳を封じるような重さがのしかかる。
「共感も、ないよりはあったほうがいい。ただ、それに気を取られて“働かせる”という責務を忘れたら、管理職じゃなくて、ただの“いい人”ですね」
フルタは、深く息をついた。
「……たしかに、“気を遣う”だけでは、部下は育ちませんね」
Wが、静かに頷く。
「共感はいりません。あなたの役割は、“理解して、動かす”こと。感情ではなく、構造と戦略です」
そして──
「彼らの“納得”を引き出せたとき、ようやくチームが“動く”のです」
その言葉が胸に落ちたとき、フルタはまるで重石を外されたような感覚に包まれた。いままで「共感」に振り回されていた自分の姿が、はっきりと浮かんできた。
「……“納得感”って、共感よりも、ずっと効くんですね」
フルタが画面越しに、しみじみとつぶやいた。
「ええ。納得すれば、人は動きますから」
Wの声が穏やかに 部屋の空気を柔らかく震わせ、安心と余韻を同時に残した。。
Zoomの接続が切れ、アバターが静かにフェードアウトする。
和波知良(わなみかずよし)の部屋に、ふたたび静寂が戻った。
彼は立ち上がり、ネルドリップで丁寧に深煎りのコーヒーを淹れる。
テーブルの上には、コンビニのチョコファッション。
腰を下ろすとき、古傷の足がわずかに重さを訴えたが、その感覚を押し殺してコーヒーを口にした。
そして、チョコファッションをひと口かじり、ワナミは口の中でビターな甘さを楽しんだ。
第11話へつづく