第11話:耳は金なり

Zoomの接続が完了する。

画面に映ったのは、白衣姿の男性だ。

「いやぁ、先生。今日もありがとうございます、急にお時間いただいちゃって──」

和波知良(わなみかずよし)のアバター、フクロウのWは、静かに、左右にゆらゆらと揺れている。

何も言わない。
ただ、聴いている。

「……いや、実はですね、うちの息子のことなんですが……。どうにも、成績が伸びなくて。東京のあの、えっと、医学部専門の予備校に通わせてはいるんですが──名前はまあ、言わなくてもお分かりでしょう。最近動画でも人気ですからね。はい、そうです、あそこです」

またWは無言のまま、ゆらゆらと揺れている。
時折、まばたきをする。

「今、息子は4浪目です。今年で5年目。最初はね、地元の国立を目指してたんです。でも、結局ダメで。やっぱり都会の方が刺激もあるし、良い講師もいるし、ってんで、東京に送ったんです。で、賃貸マンション借りて、予備校の学費払って、食事は宅配弁当ですけどね、それなりのものを……」

男は、声の調子を落としながら、まるで自分自身に言い聞かせるように言葉を継いだ。

「で、金ならまぁ、なんとかなります。ただ正直に言うとね、もう1億は使ってますよ。ええ、さすがに妻は黙ってませんが……まあ、息子に医者になってほしい、それだけなんです。私もね、地方とはいえ、一応は開業医ですから。やっぱり、誰かに継いでもらわないと」

彼の眼鏡の奥で光ったのは、責任と焦燥とがないまぜになった色だった。

「あっ、すみません、つい長くなっちゃって。でも聞いていただけると、なんかスッとするんですよ」

そこには照れと、孤独が滲んでいた。

「で、ここからが本題なんですがね。成績のことです。どうやったら伸びるのか、私なりに色々考えたんです。予備校の授業は出ている。でも伸びない。ってことは──家にいる時間が無駄なんじゃないかと。甘えてるんじゃないかと。だから、思ったんです。もっと予備校にいる時間を延ばせばいいんじゃないかと」

言葉は力強く響いていたが、その奥底には「これでいいのか」と自問する微かな揺らぎが潜んでいた。

「今も個別指導、週に10コマは受けさせてます。1コマにかかる費用が2万5千円。週に10コマで25万。月で100万ですよ。ええ、それぐらいなら、もう慣れました。でもね、これじゃ足りないんじゃないかって。だから、もう10コマ追加しようと思ってます。週20時間の個別指導です。倍の50万、月に200万か……うん、でもいいんです。これで医者になってくれるなら、全然安い」

アバターのフクロウは変わらず無言でE

それだけで、男は満足していた。

「いやぁ、こうして話してるうちに、頭が整理されてきましたよ。やっぱりね、話すって大事ですね。先生みたいに、ちゃんと聞いてくださる人がいるってのは、本当にありがたい」

そう言うと、白衣の男は軽く頭を下げた。

「よし、じゃあ追加で10コマ申し込んできます。まずはそこからですね。先生、ありがとうございました!」

画面がフェードアウトする。

Zoomの接続が切れ、フクロウのアバターが画面から消える。

入れ替わるようにして、和波知良の部屋が映し出される。

大きな本棚と、窓辺の観葉植物。
ただ今日は、湯気の立つエスプレッソと、白い小皿にのった苺のショートケーキが、テーブルに置かれていた。

ワナミは立ち上がり、キッチン奥からネルで丁寧に抽出したエスプレッソをテーブルへ運ぶ。

ふぅ、と静かに息を吐きながら椅子に戻る。

ショートケーキのクリームにスプーンを入れ、ひとくち口に運んだ。

画面の片隅に置かれたスマートフォンが静かに震える。
画面には、「振込完了通知 ¥100,000」の文字。

ワナミはそれをちらりと見て、スプーンを小皿に戻す。

ふたくち目を食べながら、もう一度スマートフォンに視線を落とした。
通知の下に、上杉高充(うえすぎたかみつ)の名が表示されていた。

たっぷり時間をかけて、自分の中にある迷路を歩くには、誰かに道を尋ねるより、ただ黙って隣を歩いてくれる相手が必要なのかもしれない。
今回のウエスギにとって、それがワナミだった。
隣を歩く相手というよりも、聞き役としての「耳」。
そして、ただそこに在る「耳」が、思わぬ対価を生んだ。

「耳代、10万円也」

そう自嘲気味に呟き、苦味のあるエスプレッソを口に含み、黙って目を閉じる。

部屋の中には、ほんのり甘いイチゴとエスプレッソの香り。

窓の外では、夕暮れの風がゆっくりとレースのカーテンを揺らしていた。

第12話へつづく