第1話からのつづき
──高田馬場、関東学力増進機構(通称:カンゾウ)。
塾長室は、くすんだ応接セットと、パーティション代わりの古びた本棚で仕切られていた。
窓際には枯れかけた観葉植物。
何年も前に買ったままの空気清浄機が、埃をかぶって低い唸りを上げている。
重苦しい空気が室内を満たしていた。
その中心に、島田巧(シマダ・タクミ)がくわえタバコで座っていた。
足を組んだまま、机をバンッと叩いた。
「なんやとォ……!?」
タクミの怒鳴り声が塾長室を揺らした。
額には玉のような汗がにじんでいる。
担任の勘解由小路康夫(かでのこうじやすお)は、直立不動で立っていた。
小柄で真面目そうな眼鏡姿。
手には、白井リョウスケの退塾届が握られていた。
「し、白井君が……他の予備校に行くと……」
カデノコウジの声は、かすかに震えていた。
「うちで続けるんやないんかい!?」
タクミが机をドンッと叩く。
枯れかけた観葉植物がビクンと揺れた。
「どこや!どこの予備校や!」
カデノコウジは、蚊の鳴くような声で答えた。
「……渋谷東大エクスプレス、だそうです」
「……なんやそれはァァァァァ!!」
観葉植物の葉が震えた。
ドアの向こうに控えていた名簿屋・ゴンドウが、のそのそと入ってくる。
権藤龍太郎(ゴンドウ・リュウタロウ)。
茶色いスーツに、いつもの作り笑いを張り付かせて。
「ええとですね、シマダ塾長。渋谷東大エクスプレス、通称エス・ティー・エックスです。渋谷の雑居ビルにある小規模な東大受験専門の──」
「エス・イー・エックスの間違いやろがァ!!!」
タクミが机を殴った。
ペン立てがガタガタと揺れる。
ゴンドウは手慣れたもので、愛機・東芝のノートパソコンのモニターをタクミに見せながら説明を続けた。
「一応、東大理III出身を名乗る金髪オールバックのサギヤって男が塾長でして。実際は日大の理学部卒らしいですけど……まあ、見た目は迫力ありますねぇ」
「金髪ゴリラか……!」
タクミは苦々しく吐き捨てた。
「しかも、たまにしか東大合格者出しとらんクセに、やたら合格実績だけは盛りまくって広告しとるらしいですわ」
ゴンドウはぬるっと付け加えた。
タクミの顔に、さらに濃い怒りの色が浮かんだ。
「ワシが、ピッシリ面倒見とったら、400パーセント、合格させとったんじゃがのォォ!」
タクミは憤りの矛先を、カデノコウジに向けた。
「お前の指導が甘いからや!何が自由学習サポートじゃ!何が寄り添い型指導じゃァァァ!! 東大に受からせるんは、鉄拳制裁やろがァァ!!」
カデノコウジは小さく「はい」とだけ答えた。
胃のあたりがしくしくと痛む。
(……僕の指導が悪かったのか……)
カデノコウジは自責の念に駆られた。
せっかく積み重ねた計画表も、面談記録も、すべて無意味だったのかと。
そして、ふと気づく。
タクミは、自分の指導力を責めているようで、実は──金づるを失ったことに怒っているだけなのだ、と。
カデノコウジの胃は、さらに締め付けられた。
第3話へつづく