第3話からのつづき
白井家のダイニング。
大理石調のテーブルに並ぶのは、オイシックスの高級ミールキットで作られたディナー。
鱒のムニエル、キヌアとクレソンのサラダ、ひよこ豆のポタージュ。
完璧に”正しい”食事。
母親、白井貴子。
経済と金融の評論家で最近はマスコミから引っ張りだこだ。
テレビで経済を語り、セレブの顔をしている。
口元には完璧な笑み、
日々、Facebookではリア充アピールに余念がない。
父親、白井忠志。
一代で成り上がったITベンチャーの社長。
今や大手町にオフィスを構える人間だ。
ワイングラスを傾けながら、軽い調子でリョウスケに訊ねる。
「今度の予備校、どうだ?」
リョウスケは、手元のポタージュをすくいながら答える。
「……普通」
母はすかさず畳みかけた。
「普通じゃ困るの。次は、絶対に東大に入ってくれるわよね?」
リョウスケは小さくうなずく。
うなずく以外に、できることはなかった。
父はワインを一口飲み、ふっと笑う。
「ま、STXはお前が選んだところだからな。特に何も言わんが……毀誉褒貶の激しいところらしいな。お前に合ってれば、特に文句はないのだが」
食卓に沈黙が落ちた。
そのとき、妹のカレンが明るい声を上げた。
「ま、がんばってね。お兄ちゃん!」
カレンはまだ高校二年生。
無邪気に、まっすぐに兄を応援していた。
母はカレンに目を細め、父は満足げにグラスを回す。
リョウスケだけが、なんとなく居心地の悪さを感じていた。
(……俺、なんなんだろうな)
ポタージュの生温い味だけが、やけに舌に残った。
食事を終えると、リョウスケは無言で自室に戻った。
ドアを閉めると、空気は一気に緩んだ。
机の上には参考書、問題集、赤本。
壁には「東大合格!」と書かれた、母が貼ったカレンダー。
リョウスケは椅子に腰を下ろし、英単語帳を開いた。
──が、指は止まる。
ふと目に入った、部屋の隅のギター。
高校時代に衝動買いした、安いアコースティックギターだ。
リョウスケは、無意識のうちにギターを手に取っていた。
ボディを膝に乗せ、弦をはじく。
ポロロン──
小さな、けれど確かな音。
指先から伝わる震えに、リョウスケの心がふっと緩む。
ちゃんと弾ける曲なんてない。
それでも、無心で弦をつまびいていると、さっきまで胸に溜まっていたモヤモヤが少しだけ消えていく気がした。
(……ダメだ)
リョウスケはギターをそっとスタンドに戻した。
今は、そんなことをしている場合じゃない。
東大。受からなきゃ。
無理やり机に向かい直し、鉛筆を取る。
けれど、指先には、まだ弦の感触がじっと残ったままだった。
ページをめくる音が、やけに空虚に響いていた。
第5話へつづく