第5話:ふたつの塾長室

第4話からのつづき

──渋谷・STX。

白井リョウスケが食事を終え、勉強机に向かっていたころ。

渋谷駅近くにある予備校、STXでは、一つの小さな塾長室で、ヒソヒソと声が交わされていた。

「おい、マッコリ!」

「はい!ニッポリです!」

小柄で笑顔の絶えない男、ニッポリ研二が即座に返事をする。

サギヤタカシ──通称サギヤプレジデントは、金髪オールバックの頭を指先でなでながら、にやりと笑った。

「今度入ってきた白井、彼の母親はテレビによく出とる有名な評論家じゃないか」

「はい、そのようですね」

とニッポリ。

「父親も、ITベンチャーの社長か役員だ」

ニッポリの細い目がまるくなる。

「そうなんですか!」

サギヤは頷き、口元をさらに歪めた。

「金になるぞ、これは」

ニッポリはそうですね!と揉み手をせんばかりに追従する。

「カモがネギを背負ってきたということだな」

サギヤはデスクに積まれた資料の中から、ある書類を取り出した。

それは、STXが誇る追加料金プログラム──「特別合宿」への招待リストだった。

「彼を特別合宿のメンバーに加えてやろうではないか」

「了解です!」

ニッポリは、少し高揚しながら深々と頭を下げた。

サギヤはにんまりと笑いながら、グラスに注いだ栄養ドリンクをあおった。

──その一方で、高田馬場・カンゾウ(関東学力増進機構)。

カンゾウの古びた塾長室でも、別の男がヒソヒソと声を荒げていた。

「おい、サムラゴウチ!」

「カデノコウジですっ!」

「まあそんな瑣末なことはどうでもええ」

島田タクミ──カンゾウの塾長は、紙巻きタバコに100円ライターで火をつけながら、イライラと机を指で叩いていた。

「お前、知っとるやろ? 白井の母ちゃん、テレビでよう見かける有名人やないか」

「は、はい……」

「父親もIT会社のお偉いさんやぞ。つまり──金持ちや」

タクミはドン、と机を叩く。

「逃した魚は大きいでぇ、大きすぎるでぇ……!」

カデノコウジは身を縮めた。
胃が、きりきりと痛み出す。

「オレが指導して、がっちり心を掴んでおったら、エス・イー・エックス(STX)なんぞ、ワケのわからん予備校に逃げられんかったんや!」

「は、はい……」

「ほんま、もったいないのう……」

タクミは遠い目をした。

そして、すぐに現実に戻り、カデノコウジを睨みつける。

「……心を入れ替えて精進せい!」

「す、すみません!」

カデノコウジはペコペコと頭を下げながら、また胃薬を飲まなければと心の中でつぶやいた。

──渋谷と高田馬場。

場所も、規模も、雰囲気も違えど、白井リョウスケの名は、どちらの塾長室でも、「金になるか、ならないか」でしか語られていなかった。

リョウスケ本人は、そんなことを知る由もなく、机に向かい、単語帳をにらみ続けていた。
ページをめくる手が、どこか重たかった。

第6話へつづく