第4話からのつづき
──渋谷・STX。
白井リョウスケが食事を終え、勉強机に向かっていたころ。
渋谷駅近くにある予備校、STXでは、一つの小さな塾長室で、ヒソヒソと声が交わされていた。
「おい、マッコリ!」
「はい!ニッポリです!」
小柄で笑顔の絶えない男、ニッポリ研二が即座に返事をする。
サギヤタカシ──通称サギヤプレジデントは、金髪オールバックの頭を指先でなでながら、にやりと笑った。
「今度入ってきた白井、彼の母親はテレビによく出とる有名な評論家じゃないか」
「はい、そのようですね」
とニッポリ。
「父親も、ITベンチャーの社長か役員だ」
ニッポリの細い目がまるくなる。
「そうなんですか!」
サギヤは頷き、口元をさらに歪めた。
「金になるぞ、これは」
ニッポリはそうですね!と揉み手をせんばかりに追従する。
「カモがネギを背負ってきたということだな」
サギヤはデスクに積まれた資料の中から、ある書類を取り出した。
それは、STXが誇る追加料金プログラム──「特別合宿」への招待リストだった。
「彼を特別合宿のメンバーに加えてやろうではないか」
「了解です!」
ニッポリは、少し高揚しながら深々と頭を下げた。
サギヤはにんまりと笑いながら、グラスに注いだ栄養ドリンクをあおった。
──その一方で、高田馬場・カンゾウ(関東学力増進機構)。
カンゾウの古びた塾長室でも、別の男がヒソヒソと声を荒げていた。
「おい、サムラゴウチ!」
「カデノコウジですっ!」
「まあそんな瑣末なことはどうでもええ」
島田タクミ──カンゾウの塾長は、紙巻きタバコに100円ライターで火をつけながら、イライラと机を指で叩いていた。
「お前、知っとるやろ? 白井の母ちゃん、テレビでよう見かける有名人やないか」
「は、はい……」
「父親もIT会社のお偉いさんやぞ。つまり──金持ちや」
タクミはドン、と机を叩く。
「逃した魚は大きいでぇ、大きすぎるでぇ……!」
カデノコウジは身を縮めた。
胃が、きりきりと痛み出す。
「オレが指導して、がっちり心を掴んでおったら、エス・イー・エックス(STX)なんぞ、ワケのわからん予備校に逃げられんかったんや!」
「は、はい……」
「ほんま、もったいないのう……」
タクミは遠い目をした。
そして、すぐに現実に戻り、カデノコウジを睨みつける。
「……心を入れ替えて精進せい!」
「す、すみません!」
カデノコウジはペコペコと頭を下げながら、また胃薬を飲まなければと心の中でつぶやいた。
──渋谷と高田馬場。
場所も、規模も、雰囲気も違えど、白井リョウスケの名は、どちらの塾長室でも、「金になるか、ならないか」でしか語られていなかった。
リョウスケ本人は、そんなことを知る由もなく、机に向かい、単語帳をにらみ続けていた。
ページをめくる手が、どこか重たかった。
第6話へつづく