第5話からのつづき
渋谷・STX。
白井リョウスケは、日々、授業と自習に追われていた。
STXには、スピリチュアルな講師・ニッポリ研二のような少し変わった存在もいたが、大半の講師は至極真っ当だった。
教え方も丁寧で、質問にも親身に応じてくれる。
勉強する環境としては、悪くなかった。
にもかかわらず、リョウスケの心には、どこか拭いきれない不安があった。
それでも、今度こそ。
「今度こそ」と自分に言い聞かせながら、机に向かい続けた。
そんなリョウスケに、ある日、声がかかる。
「特別合宿に参加しないか?」
サギヤプレジデント直々の推薦だった。
両親も、「これで受かるなら安いものだ」と快諾し、リョウスケは、夏の二週間にわたる合宿に参加することとなった。
特別合宿は、サギヤが所有する豪華な別荘で行われた。
海を望む広大な敷地。
バーベキューセットに、ジェットスキー、プライベートビーチ。
「学習合宿」と銘打たれてはいたが、実態はほとんどバーベキューと海水浴のどんちゃん騒ぎだった。
もちろん、夜になればサギヤ塾長自らが化学の授業を行う。
──ことも、たまに、あった。
合宿に参加している生徒の顔ぶれを見渡すと、妙に華やかな女子たちが目立った。
どう見ても、成績順で選ばれたわけではなさそうだ。
夜になると、ニッポリが月を見上げながら、「月のエネルギーが君たちを浄化する」とか、「ムー大陸は存在した」などと、雑誌『ムー』の受け売りのようなスピリチュアルトークを始めることもあった。
それでも、都会の喧騒を離れた別荘での生活は、それなりに心地よかった。
(ま、こういう休憩も必要だろ)
リョウスケは、そう思いながら、夜の潮風を吸い込んだ。
一方そのころ高田馬場・カンゾウでは。古びたビルの一室にある塾長室では、今日も怒号が飛んでいた。
「おいっゴンドウ!」
「ヘイっ!」
卑屈な笑顔を浮かべた教育ブローカー、ゴンドウが、素早く身を乗り出す。
「もっと金になる名簿、持ってこんかい!」
「ヘイっ!」
ゴンドウはペコペコと頭を下げながら、次にどこの塾に潜り込んで個人情報をかき集めるかを考えていた。
カンゾウの塾長・島田タクミは、紙巻きタバコに火をつけ、イライラと机を指で叩いていた。
「おい、ヤマノウエノオクラ!」
「カデノコウジですっ!」
「まあそんな細かいことはどうでもええ。オレは経営者やからな」
「は、はいっ……!」
「今年の夏期講習は順調か?」
「はいっ。今年は優秀な生徒も多く、東大に数名合格できるかもしれません!」
言外には「僕の指導が良いからですよ、少しは褒めてください」という気持ちも込もっていた。
しかし、タクミは、まるで興味なさそうにタバコをくわえたまま言った。
「そうか。受かったら受かったで、それはエエことや」
そして一拍置いて、タクミはギラリと目を光らせた。
「だがのぉ、万が一、不合格でも──」
「……はい」
「来年もカンゾウで勉強するように、がっちりとハートをグリップしとかなあかんで!」
「は、はいっ!」
「オレがお前やったら430パーセント、落ちた奴全員を来年もここに通わせるんやがの!」
「…はいっ!」
カデノコウジは必死に頭を下げた。
また胃薬を買いに行かなければ──と心の中でつぶやきながら。
渋谷と高田馬場。
見た目も、中身も、まったく違う二つの予備校。
けれど、そこに流れる空気の根っこは、どちらも同じに見えなくもなかった。
それぞれの夏が、過ぎていった。
リョウスケは、まだ何も知らないまま──。
第7話へつづく