第6話:それぞれの夏

第5話からのつづき

渋谷・STX。

白井リョウスケは、日々、授業と自習に追われていた。

STXには、スピリチュアルな講師・ニッポリ研二のような少し変わった存在もいたが、大半の講師は至極真っ当だった。

教え方も丁寧で、質問にも親身に応じてくれる。

勉強する環境としては、悪くなかった。

にもかかわらず、リョウスケの心には、どこか拭いきれない不安があった。

それでも、今度こそ。
「今度こそ」と自分に言い聞かせながら、机に向かい続けた。

そんなリョウスケに、ある日、声がかかる。

「特別合宿に参加しないか?」

サギヤプレジデント直々の推薦だった。

両親も、「これで受かるなら安いものだ」と快諾し、リョウスケは、夏の二週間にわたる合宿に参加することとなった。

特別合宿は、サギヤが所有する豪華な別荘で行われた。

海を望む広大な敷地。
バーベキューセットに、ジェットスキー、プライベートビーチ。

「学習合宿」と銘打たれてはいたが、実態はほとんどバーベキューと海水浴のどんちゃん騒ぎだった。

もちろん、夜になればサギヤ塾長自らが化学の授業を行う。
──ことも、たまに、あった。

合宿に参加している生徒の顔ぶれを見渡すと、妙に華やかな女子たちが目立った。
どう見ても、成績順で選ばれたわけではなさそうだ。

夜になると、ニッポリが月を見上げながら、「月のエネルギーが君たちを浄化する」とか、「ムー大陸は存在した」などと、雑誌『ムー』の受け売りのようなスピリチュアルトークを始めることもあった。

それでも、都会の喧騒を離れた別荘での生活は、それなりに心地よかった。

(ま、こういう休憩も必要だろ)

リョウスケは、そう思いながら、夜の潮風を吸い込んだ。

一方そのころ高田馬場・カンゾウでは。古びたビルの一室にある塾長室では、今日も怒号が飛んでいた。

「おいっゴンドウ!」

「ヘイっ!」

卑屈な笑顔を浮かべた教育ブローカー、ゴンドウが、素早く身を乗り出す。

「もっと金になる名簿、持ってこんかい!」

「ヘイっ!」

ゴンドウはペコペコと頭を下げながら、次にどこの塾に潜り込んで個人情報をかき集めるかを考えていた。

カンゾウの塾長・島田タクミは、紙巻きタバコに火をつけ、イライラと机を指で叩いていた。

「おい、ヤマノウエノオクラ!」

「カデノコウジですっ!」

「まあそんな細かいことはどうでもええ。オレは経営者やからな」

「は、はいっ……!」

「今年の夏期講習は順調か?」

「はいっ。今年は優秀な生徒も多く、東大に数名合格できるかもしれません!」

言外には「僕の指導が良いからですよ、少しは褒めてください」という気持ちも込もっていた。

しかし、タクミは、まるで興味なさそうにタバコをくわえたまま言った。

「そうか。受かったら受かったで、それはエエことや」

そして一拍置いて、タクミはギラリと目を光らせた。

「だがのぉ、万が一、不合格でも──」

「……はい」

「来年もカンゾウで勉強するように、がっちりとハートをグリップしとかなあかんで!」

「は、はいっ!」

「オレがお前やったら430パーセント、落ちた奴全員を来年もここに通わせるんやがの!」

「…はいっ!」

カデノコウジは必死に頭を下げた。
また胃薬を買いに行かなければ──と心の中でつぶやきながら。
 
渋谷と高田馬場。
見た目も、中身も、まったく違う二つの予備校。
 
けれど、そこに流れる空気の根っこは、どちらも同じに見えなくもなかった。

それぞれの夏が、過ぎていった。

リョウスケは、まだ何も知らないまま──。

第7話へつづく