第8話:金づるリターン

第7話からのつづき
 
──高田馬場・カンゾウ。
春、まだ冷たい風の吹くある日。

カンゾウ塾長室に、一報が届いた。

「白井リョウスケ、再申し込み!」

島田タクミは、その言葉を聞くなり、顔をほころばせた。

「おお、金づるリターンじゃ!」

タクミは、机にどかっと腰かけ、上機嫌に「お〜いお茶」のペットボトルをあおった。

「よっしゃ、こいつぁ春から縁起がええわ!」

カンゾウの営業スタッフたちは、誰も何も言わなかった。
タクミがこういう時に見せる「金の匂いセンサー」には、誰も口出しできない。
 
カデノコウジだけは、静かに胸の奥を熱くしていた。

(リョウスケ君が戻ってくる……)

現役時代、彼はカンゾウに通っていた。

一度は離れ、STXへと進んだが、またここに戻ってくる。

(今度こそ、絶対に東大に合格させる……!)

カデノコウジは、胸の奥に固い決意を宿していた。

その時だった。

「おい、亀屋万年堂!」

「カデノコウジですっ!」

タクミは手を振りながら言った。

「まあそんな微に入り細に入ったことはどうでもええ、オレは塾長じゃ。この塾長に意見するとは、ええ度胸やのう!」

「す、すいませんっ!」

カデノコウジは慌てて頭を下げた。

胃のあたりが、きりきりと痛み始める。

タクミは鼻歌まじりに続けた。

「今度こそ頼むで!落ちてもがっしりグリップじゃ!」

──つまり、仮に東大に落ちても、他塾には絶対に行かせるな、という意味だった。

カデノコウジは内心で反論した。

(いえ、僕が今年は必ず合格させるので、その心配には及びません!)

そう言いかけたものの、言葉は喉に詰まり、結局、頭を下げる。

「は、はい!しっかり頑張ります!」

(しっかり頑張って、リョウスケ君を東大に合格させます……!)

タクミは満足げにうなずいた。

「そうや、そうや、その気合いが大事じゃ!」

もちろん、タクミが言う「気合い」とは、指導を頑張ることではなく、囲い込みを頑張る気合いのことだった。

タクミはさらにご機嫌でスナックのロゴが印刷された100円ライターで紙巻きタバコに火をつけた。

そのころ──
カンゾウの玄関を、一人の若者がくぐった。

白井リョウスケ。

かつてこの場所を後にした受験生が、今、もう一度、自分の意志で戻ってきた。

肩には少し力が入っている。

けれど、その目は、あの日よりもずっと力強かった。

ロビーは、あの頃のまま。

色あせた合格者の写真、少し硬いソファ。

リョウスケは、ゆっくリト歩き出す。
目指す先は、担任──カデノコウジのいる指導室だった。

(今度こそ……)

胸の中で、リョウスケは小さく、でも確かに呟いた。

──新しい一年が、また、始まろうとしていた。

第9話へつづく