第7話からのつづき
──高田馬場・カンゾウ。
春、まだ冷たい風の吹くある日。
カンゾウ塾長室に、一報が届いた。
「白井リョウスケ、再申し込み!」
島田タクミは、その言葉を聞くなり、顔をほころばせた。
「おお、金づるリターンじゃ!」
タクミは、机にどかっと腰かけ、上機嫌に「お〜いお茶」のペットボトルをあおった。
「よっしゃ、こいつぁ春から縁起がええわ!」
カンゾウの営業スタッフたちは、誰も何も言わなかった。
タクミがこういう時に見せる「金の匂いセンサー」には、誰も口出しできない。
カデノコウジだけは、静かに胸の奥を熱くしていた。
(リョウスケ君が戻ってくる……)
現役時代、彼はカンゾウに通っていた。
一度は離れ、STXへと進んだが、またここに戻ってくる。
(今度こそ、絶対に東大に合格させる……!)
カデノコウジは、胸の奥に固い決意を宿していた。
その時だった。
「おい、亀屋万年堂!」
「カデノコウジですっ!」
タクミは手を振りながら言った。
「まあそんな微に入り細に入ったことはどうでもええ、オレは塾長じゃ。この塾長に意見するとは、ええ度胸やのう!」
「す、すいませんっ!」
カデノコウジは慌てて頭を下げた。
胃のあたりが、きりきりと痛み始める。
タクミは鼻歌まじりに続けた。
「今度こそ頼むで!落ちてもがっしりグリップじゃ!」
──つまり、仮に東大に落ちても、他塾には絶対に行かせるな、という意味だった。
カデノコウジは内心で反論した。
(いえ、僕が今年は必ず合格させるので、その心配には及びません!)
そう言いかけたものの、言葉は喉に詰まり、結局、頭を下げる。
「は、はい!しっかり頑張ります!」
(しっかり頑張って、リョウスケ君を東大に合格させます……!)
タクミは満足げにうなずいた。
「そうや、そうや、その気合いが大事じゃ!」
もちろん、タクミが言う「気合い」とは、指導を頑張ることではなく、囲い込みを頑張る気合いのことだった。
タクミはさらにご機嫌でスナックのロゴが印刷された100円ライターで紙巻きタバコに火をつけた。
そのころ──
カンゾウの玄関を、一人の若者がくぐった。
白井リョウスケ。
かつてこの場所を後にした受験生が、今、もう一度、自分の意志で戻ってきた。
肩には少し力が入っている。
けれど、その目は、あの日よりもずっと力強かった。
ロビーは、あの頃のまま。
色あせた合格者の写真、少し硬いソファ。
リョウスケは、ゆっくリト歩き出す。
目指す先は、担任──カデノコウジのいる指導室だった。
(今度こそ……)
胸の中で、リョウスケは小さく、でも確かに呟いた。
──新しい一年が、また、始まろうとしていた。
第9話へつづく