第9話からのつづき
──渋谷・STX、鳳凰の間。
金ピカのフェニックス像が鎮座する、特別室「フェニックス・ルーム」。
そのテーブルに、サギヤタカシ塾長が座っていた。
金髪オールバックを指でいじりながら、スーツの裾を何度もパシパシと払い、やたらと落ち着かない仕草を繰り返している。
「おい、パッチギ!」
「ニッポリです!」
小柄で笑顔の絶えない男、ニッポリ研二が即座に返事をした。
サギヤは、指で机をカンカンと鳴らしながら言った。
「白井リョウスケ、不合格だったそうだな」
ニッポリは苦笑いを浮かべた。
「す、すいません、私のパワーが及ばず……」
サギヤは目を細め、しばらく無言でニッポリをにらんだ。
「……それはいいんだ」
肩の力を抜くと見せかけて、手元の指先はスーツの裾をなおパシパシといじっている。
不機嫌なのが丸わかりだった。
「だが、問題はそこからだ。なぜうちに残らなかったのだ」
ニッポリは口ごもる。
「はぁ、それは……」
その時、別の講師が口を挟んだ。
「カンゾウで、もう一年頑張ると言ってやめて行きましたよ」
サギヤの顔がぐにゃりとゆがむ。
「何? カンゾウ?」
スーツの裾を叩く手が止まり、代わりに机をトントン叩き始める。
「関東学力増進会です、そこに戻ると…」
講師が続けた。
いきりたつサギヤ。
「肝臓とはいい度胸だ。酒飲みに喧嘩売ってるのか、その塾は……!」
横から、また別のスタッフが恐る恐る言った。
「なんでも、塾長はシマダタクミっていう男で……なかなかやり手な経営者らしいと聞いてます」
サギヤの表情が、さらに曇った。
やり手。
その言葉に、ピクリと眉が動く。
「シマダだと? タクミだと?」
金髪オールバックをかき上げながら、口元を歪める。
「ダマシがタクミとは……こりゃ笑えるな」
自分のことは棚に上げて、鼻で笑った。
「おい、トッポギ!」
「ニッポリです!」
「なんとかならんのか? 今からでも遅くない。『STXでもう一回頑張らないか』って取り戻せんのか?」
机を指でカンカンと叩きながら、サギヤはニッポリに詰め寄る。
「年間授業料を半額にしてもいいぞってアプローチできんのか。もちろん、その分、特別合宿と直前特別講習でたんまり金をいただくがな」
ニッポリは、また苦笑いした。
「いやぁ、すいません。実は先日、彼に連絡してみたんですが……ダメでした」
サギヤの手がピタリと止まる。
ニッポリは肩をすぼめながら続けた。
「『連絡ありがとうございます。僕は、今、カンゾウで人生の中で一番勉強しています』って返事が来たんですよ……」
室内に、重たい沈黙が落ちた。
サギヤは深く、長いため息をついた。
「……逃した魚は大きいってやつか」
金ピカのフェニックス像の目が、皮肉に光っているように見えた。
一方、高田馬場・カンゾウ。
季節は進み、5月、6月。
白井リョウスケは、カデノコウジの立てたカリキュラムに従い、黙々と勉強を続けていた。
毎日、同じ時間に登校し、同じ時間に自習室へ向かい、黙々と問題集を解き続ける。
わからないところは、すぐに質問する。
以前は考えられなかったほど、堅実な学習態度だった。
カデノコウジは、そんなリョウスケの姿を、時折、指導室の窓から目を細めて見守った。
(うん、順調だ……)
心の中で、確かな手応えを感じる。
──しかし。
この穏やかな日々に、黒い影が忍び寄っていることを、まだ誰も知らなかった。
第11話へつづく