──高田馬場・カンゾウ、塾長室。
重たい空気が漂っていた。
島田タクミは、いつものラグビージャージ姿で椅子にふんぞり返っていた。
クリスタルの灰皿の上で紙巻きタバコを消した後、机の上のチラシをぐしゃぐしゃに丸めていた。
「おい、カメヤマンネンドウ!」
「カデノコウジですっ!」
勘解由小路康夫(カデノコウジ・ヤスオ)がぴしっと立ち上がった。
胃を押さえながら。
島田は、ギラリと目を光らせた。
「またエス・イー・エックスに取られたやないけ!!」
「……は、はい、申し訳ありません……」
タクミは机をドン、と叩いた。
「なんや、お前のグリップ力の甘さは! オレは言ったよな、しっかり頑張れよ、と!」
もちろん、タクミの頑張れよは「囲い込めよ」という意味である。
「……はい……(胃がキリキリ)」
「オレが担任やってたらな──」
タクミはぐっと身を乗り出した。
「14万8000光年、続けさせたのにの!!」
……沈黙。
カデノコウジは、一瞬、その言葉の意味を脳内で反芻した。
(……光年……?)
(もはや単位すら狂っている……)
(しかもやたらデカい数字を出したがるの、小学生のそれ……)
だがもう、ツッコむ気力もなかった。
ただ、胃が──痛かった。
タクミは急にトーンを落とし、
「今年の春はなぁ、思ったほど生徒が集まっとらんのや……」
と言い、お〜いお茶のペットボトルをグイッとあおった。
「浪人生の数、いつもの8割……」
一呼吸を置いてタクミは続ける。
「……ゼンネン比、2割減っちゅうことや」
“前年比”。
タクミの表情は、どこかで覚えたばかりの言葉を、得意げに親に話す中学生のようだった。
カデノコウジは黙ってうなずいた。
(それでも、この状況で塾長にうなずける自分は、偉いと思った)
「オレの遊ぶ金が……減るやないか……」
小声でつぶやいたその一言が、この男の本質すべてを物語っていた。
職員室に戻ったカデノコウジは、胃を押さえながら、そっと椅子に座った。
視界の端に、鏡があった。何気なく見た自分の姿──
「あ……」
こめかみのあたりに、一本、二本……
はっきりとわかる白髪が浮かんでいた。
(耐えるんだ、俺……耐えるんだ……)
心の中で、何度もそう唱えた。
(嵐が通り過ぎるまで──)
その嵐の名は、塾長・島田タクミ。
高田馬場の老朽ビル最上階に時折吹き荒れる台風。
風速、光年レベル。
第15話へつづく