第14話:白髪の予兆

──高田馬場・カンゾウ、塾長室。

重たい空気が漂っていた。

島田タクミは、いつものラグビージャージ姿で椅子にふんぞり返っていた。
クリスタルの灰皿の上で紙巻きタバコを消した後、机の上のチラシをぐしゃぐしゃに丸めていた。

「おい、カメヤマンネンドウ!」

「カデノコウジですっ!」

勘解由小路康夫(カデノコウジ・ヤスオ)がぴしっと立ち上がった。
胃を押さえながら。

島田は、ギラリと目を光らせた。

「またエス・イー・エックスに取られたやないけ!!」

「……は、はい、申し訳ありません……」

タクミは机をドン、と叩いた。

「なんや、お前のグリップ力の甘さは! オレは言ったよな、しっかり頑張れよ、と!」

もちろん、タクミの頑張れよは「囲い込めよ」という意味である。

「……はい……(胃がキリキリ)」

「オレが担任やってたらな──」

タクミはぐっと身を乗り出した。

「14万8000光年、続けさせたのにの!!」

……沈黙。

カデノコウジは、一瞬、その言葉の意味を脳内で反芻した。

(……光年……?)
(もはや単位すら狂っている……)
(しかもやたらデカい数字を出したがるの、小学生のそれ……)

だがもう、ツッコむ気力もなかった。

ただ、胃が──痛かった。

タクミは急にトーンを落とし、

「今年の春はなぁ、思ったほど生徒が集まっとらんのや……」

と言い、お〜いお茶のペットボトルをグイッとあおった。

「浪人生の数、いつもの8割……」

一呼吸を置いてタクミは続ける。

「……ゼンネン比、2割減っちゅうことや」

“前年比”。

タクミの表情は、どこかで覚えたばかりの言葉を、得意げに親に話す中学生のようだった。

カデノコウジは黙ってうなずいた。

(それでも、この状況で塾長にうなずける自分は、偉いと思った)

「オレの遊ぶ金が……減るやないか……」

小声でつぶやいたその一言が、この男の本質すべてを物語っていた。

職員室に戻ったカデノコウジは、胃を押さえながら、そっと椅子に座った。

視界の端に、鏡があった。何気なく見た自分の姿──

「あ……」

こめかみのあたりに、一本、二本……
はっきりとわかる白髪が浮かんでいた。

(耐えるんだ、俺……耐えるんだ……)

心の中で、何度もそう唱えた。

(嵐が通り過ぎるまで──)

その嵐の名は、塾長・島田タクミ。
高田馬場の老朽ビル最上階に時折吹き荒れる台風。
 
風速、光年レベル。

第15話へつづく