第17話からのつづき
ある日、テレビ局の収録後。
白井貴子が楽屋でメイクを落としていると、ドアがノックされた。
「失礼します〜、お疲れ様です!いつも番組拝見してます〜!」
やたら声が高いその男は、金髪オールバック、タモリのようなサングラスをかけたサギヤ塾長だった。
「今日はまた、経済のお話、とてもわかりやすかったです。奥様は本当にお美しいだけでなく、知性までお持ちでいらっしゃる。東大生の親御さんとして、本当に誇らしいといいますか……!」
「うふふ、ありがとうございます」
貴子はまんざらでもない様子で、手元のペリエを口に運ぶ。
「で、ですね、今日はちょっとお渡ししたいものが……」
そう言いながら、サギヤが差し出したのは、フェニックス講習申込書(最新版)。
カラー刷りでホログラム加工付きのものだ。
「こちら、今回リリースした“記憶回路再起動フェニックスメソッド・特別編”になります」
サギヤはつづける。
「潜在意識にアクセスして合格力を3.8倍に引き上げる、我がSTXが誇る超進化プログラムなのです!」
「……あら、面白そうですね」
「今回は“フェニックス合格祈願バインダー”も付属しておりましてね。神田明神で祈祷済みの専用ペンも──」
「では、サインしときますね。振込は事務所経由でよろしいかしら?」
「さっすが奥様っ!!話が早いっ!!」
──こうして、また一件、申込が成立する。
白井リョウスケは、帰宅後に母から言われる。
「お兄ちゃん、今回も申し込んどいたからね!“記憶回路再起動”とかいうやつ。頑張って!」
「うん、わかった」
リョウスケは、特に驚きもせず、ただ、そう答えるだけだった。
一方、STX・講師控室。
ニッポリ研二は、今日もパソコンの前で文字を打っていた。
メルマガ原稿。
今日も5,000文字。
講座のタイトル案が、ずらりと並ぶ。
・心眼速読マインド
・念で攻略・英文法
・英単語・夢想転生記憶法
・全集中英作文
・波紋で英文解釈
・辵家流サブリミナル速習法
・脳内カリスマ文法カタルシスルート
・究極奥義伝授!スピーキング強化月間
「どれにしようかな……」
ニッポリは目を細めてうなる。
「“全集中英作文”は去年やったし……“波紋”はギリいけるかな……」
「“心眼速読”に“チャクラ”混ぜたら、なんかヤバい宗教みたいになるしな……」
──彼は、YouTube動画も出している。
だが、再生回数は2桁止まり。
「話し方がモゾモゾしていて集中できない」「目つきと挙動が負け犬ライク」などのコメントが寄せられ、コメント欄は現在閉鎖中である。
しかし、メルマガだけは伸びていた。
この“文字の中”では、誰も彼を見下さない。
誰も、笑わない。
笑ったり呆れた読者は配信解除ボタンを押すので当然といえば当然のことだが。
ニッポリは、誓っていた。
「いつか、STXも、サギヤも、超えてやる」
「僕が“日本一のメンタリング教育者”として君臨するんだ……!」
その夢を、今日も文章にぶつける。
メルマガタイトル:記憶の回路を開け!哀しみを背負うことで体得する最終兵器、それが“夢想転生英単語”だ!
STXの講座ラインナップは、日々カオスを極めていた。
リョウスケの時間割には、こう記されていた。
水曜 17:00〜:「脳内ダイブで読む長文読解」
木曜 20:00〜:「究極奥義・夢想転生英単語」
土曜 13:00〜:「全集中・英作文マラソン」
日曜 9:00〜:「チャクラ覚醒・フェニックス講習」
随時:「合格祈願・記憶バインダー強化セッション(別料金)」
リョウスケは、言われた通り参加した。
淡々と。
黙々と。
表情はほとんど変わらない。
──だが、模試の結果だけは、明らかに良くなっていた。
東大:C判定。
慶應理工・早稲田先進理工:A判定。
努力は、間違いなく実っていた。
だがそれは、STXの“スピ講座”の効果ではない。
彼が、カンゾウ時代に積み上げた基礎力の土台が、ようやく表面に現れ始めた──それだけのことだった。
そして、季節はゆるやかに、冬へ向かっていった。
第17話へつづく