第3話:男は顔じゃない

第2話からのつづき

渋谷──
駅前のビル群を抜け、裏通りの雑居ビルにひっそりと構える予備校、STX(渋谷東大エクスプレス)。

壁に金色の文字で刻まれたスローガンはこうだ。

「Rise Again with Infinite Power」
(無限の力で蘇れ)

その個別ブースの一角で、ニッポリ研二は例のごとく、にこにこと笑顔を浮かべていた。

目の前には、浪人生の男子がいる。

地味で真面目、でも最近どこか沈んでいる。

彼はおもむろに口を開いた。

「先生……オレ、女子にまったく相手にされません……」
 
ニッポリは、頷きそして笑った。

「よし。今日は特別講義だ。テーマは──」

ゴクリと男子生徒はつばを飲む。
 
「男は顔じゃない!」
 
その言葉とともに、ニッポリの意識は、また、記憶の彼方へと飛ばされた。
脳内で時計が逆戻りをしていく。
 
男は顔じゃない、男は顔じゃない、男は顔じゃない、男は顔じゃない、男は──

男は顔だぁあああああああ!!!

高校時代の自分が、夕暮れの河原で泣き叫んでいる。

拳を振り上げ、空に向かって怒鳴るその姿は、傍から見ればちょっと危ない。
 
「え?無理」

好きだったクラスの女子に話しかけたときの、無慈悲な一言。

文化祭で「ちょっと写真撮ろうよ」って声をかけたら、
「キモい」。

まさかの連発。

ニッポリは、鏡を見た。

何か変なのか?
いや普通だ。
たぶん、ちょっと目が寄ってるだけ。


 
浪人時代。

一目惚れした女の子に「合格したら告白しよう」と決めていた。

だが。

合格発表の翌日、その子の隣には、同じ予備校でほとんどしゃべったこともない、いつも下を向いていた無口な男子がいた。

「え、アイツ、受かってたの?東大?」と誰かが言った。
 
あっさり持っていかれた。

彼は、モノじゃない。
でも、無口な彼は、憧れの子にあっさり持っていかれた。

そして大学留学時代──

外国人に囲まれる環境に期待していた。
きっと日本とは違うはずだ。

文化も価値観も混在する多様性の中でこそ、きっとオレは評価される──

「ハーイ」

「……Oh……Soooorry……(笑)」

そんなのが続いたある日、唯一少しだけ話しかけてくれた女子学生が言った。

「Your vibe is… interesting!」

(……バイブ?俺にもあんのか?)

まさか、笑顔で謝られるとは思わなかった。

しかも、毎回。

走馬灯のように過ぎる、残念すぎる過去の数々。

ああ、なんで自分はそんな扱いばかりなんだぁぁぁあ!

意識が現在へ。

渋谷のビルの空調音が、現実へと彼を連れ戻す。
 
「……そう、男は……顔なんだ……いや、顔じゃないんだ……」
 
なぜなら──

渋谷の雑居ビル内の蛍光灯が現実にじわりと戻ってくる。

ニッポリは、目の前の生徒の表情を見つめながら、ふっと微笑んだ。

「……そうさ。顔じゃなくても、戦える」

そんな確信が、いま自分の中にうっすらと芽生えていた。

「……つまりね」

渋谷・STXの個別指導ブース。

ニッポリは、自らの“顔じゃない歴”を走馬灯のように振り返った直後だった。

「本当に大事なのは、オーラなんだよ」

生徒は、やや引き気味にペンを握り直す。

「オーラ……っすか」

「うん。あと、波動。心がフラットな状態でないと、良い“引き寄せ”は起きない。“自分を愛する波動”が、相手に伝わるんだよね」

完全にスピリチュアルである。
だが、ニッポリは本気だった。

「俺ね、アメリカではめちゃモテた。まあこれは証明できないけど、真実だよ。“ピュアなバイブを感じる”って何度も言われた。あれは、マジだった」

「……バイブって、震えのことですよね?」

「そう!心の震え。魂の振動数。つまり“共鳴”だよ!」

熱が入ってきた。

「だから君も、まずは自分の“内面の光”を整えよう。合格も恋も、ぜんぶ引き寄せるんだ」

「顔は関係ないんですか?」

「関係ない!大切なのは周波数だよ。」

生徒はうなずいた。ノートにこう書き残して。

「男は顔じゃない」
 
そして数ヶ月後。

春、桜が散り、新緑が街ににじみ出す季節。
ゴールデンウィーク明け、STXの講師室のドアがノックされた。

「失礼します。あの、ニッポリ先生いますか?」

入ってきたのは、あの男子生徒。
彼は晴れて東大の文Iに合格していた。

そしてその隣には、白百合女子大の清楚系女子。

「えっ、お、おう!合格、おめでとう!」

「ありがとうございます!」と、彼女のほうが先に笑った。

男子生徒はニッポリに深く頭を下げる。

「先生の言葉、信じてました。“男は顔じゃない”って──」

ニッポリの目が潤む。

「お、おう……だろ……?」

「はい。“男は学歴ですね!”」

あっさりと言い切った。
彼女もにこっと笑ってうなずく。

ニッポリは、言葉を失った。
 
──その夜、渋谷・のんべえ横丁の一角。

「ちくしょぉぉぉ……オレだって、東大さえ受かってたら……」

ハイボールのグラスを傾けながら、ニッポリはひとり毒づいていた。

あの生徒が眩しくてしょうがない。

白百合女子と並んでいたあの笑顔。
悔しい。
羨ましい。
ぶっちゃけ、彼女がほしい。
今すぐに。

「なんで俺だけモテないんだ……」

テーブルに頭をガンガンぶつけるニッポリ。

そのとき。
カチャリと音がした。

ふと横を見ると、割り箸に挟まれた500円玉が置かれている。

声が聞こえた。

「おまえさん、ずいぶん落ち込んどるようやで。ま、この“アニバーサリーおでん”で美味いもん食えや。どこの誰かは知らんが、応援しとるで!」
 
その声は、やたらデカくて威張っていた。

ニッポリが振り向くと、すでにその男は立ち去るところだった。

連れていたのは、女子大生3人。

「遅い合格祝いやぁ〜!東大でも医学部でも、人生の本筋は“おでん”やからな〜!なんでも頼んでええぞぉ〜!」

そう叫びながら、その謎のおっさん一行は、夜の渋谷へ消えていった。
 
ニッポリは、割り箸に挟まれた500円玉を見つめながら、ひとりつぶやいた。

「誰だよ、あの変なおっさん……」

「いや、どこかで見たような、あの金ネックレスと声……」

「……そして、なんであんな変なおっさんがモテてるんだ」

唇を噛んだ。

500円のおでんは、しょっぱい味しかしなかった。
 
第4話につづく。