第2話:いわゆるシゴデキ男

受験業界では通称「メディデラ」と呼ばれている医学部専門予備校・メディカルデラックス。

本部のガラス張りの面接室に、スーツ姿の男が姿を現した。
時計は、午前11時きっかりを指していた。

ノック3回。ドアが開き、男が柔らかな笑みを浮かべて入ってくる。

「どうも。ササモトと申します。本日はよろしくお願いいたします」

笹本和彦(ササモトカズヒコ)

慶應義塾大学 経済学部卒
メガバンク・リテール&事業法人企画部
→外資系コンサル
→独立マーケター
TOEIC:955点
趣味:マラソン、TED視聴、若手育成

エゾエ慎太郎は、机の上の書類から一瞬だけ目を上げて、穏やかに言う。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます。どうぞ、おかけください」

「はい、失礼します」

座る動作も滑らか。
しかし、自己演出感が隠しきれない。

「さて、今回、講師職へのご応募とのことですが、動機からお聞かせいただけますか?」

「はい。正直に申し上げて、教育業界は、以前からずっと関心がありました。自分の経験とスキルを、これからの世代に還元したいと思いまして」

「と、言いますと?」

「前職では、大手クライアントの案件を多数扱ってきました。プロジェクトをマネジメントしながら、若手指導も任されていたので、“教えること”に関しては、ある程度の実績と、自信もあります」

エゾエは無言でペンを止める。


 
「もちろん、受験指導は初めてですが、言ってみれば、これは伝える技術だと思っているんです。構造を解きほぐし、相手に分かりやすく示す。それなら得意分野です」

エゾエの眉が、わずかに動いた。

(……出たな、“伝えること=教えること”論者)

「お話を聞いている限り、ササモトさんは主に“BtoB”領域で活躍されてきたと拝察しますが、この現場は“BtoC”、しかも……かなりローコンテクストな相手が対象になります」

ササモトが、少し身を乗り出す。

「も、もちろん、その点は承知しています。だからこそ、伝え方のチューニングが大事だと考えています。僕はプレゼンでも、相手が大企業でも中小でも、語り口は変えていましたし──」

エゾエ、静かに遮る。

「ヨドバシカメラで、洗濯機を高齢者に売れますか?」

「え?」

「あなたの“伝え方の技術”は、ビジネス言語という共通の土台がある前提で機能していた。でもこちらは、価値観も語彙も異なる十代が相手です。“語って通じる”と思った瞬間から、この仕事は崩れ始めます」
 
エゾエの声に、わずかな熱が宿る。

「教育現場は──あなたの想像以上に変数が複雑に絡み合う」

ササモトの目が、かすかに揺れる。

「もちろん、最初から完璧にできるとは思っていません。ですが、アジャスト(適応)することには自信があります。慣れれば、現場の空気も読めるようになるはずですし──」

「その“慣れればできる”という考えが、すでに、この現場をナメている証拠です」

エゾエは机に置かれたファイルをゆっくりと閉じた。

「プロジェクトと違って、教育は“実験”が許されません。生徒はクライアントであり、素材であり、何より、人間です」

「……。」

「講師という仕事は、“実績の転用”では務まりません。我々は戦歴ではなく、“戦力”が必要なのです」

数秒の沈黙。

ササモトは、初めて笑顔を失い、少しだけ俯いた。

エゾエの声が、再び静寂を切り裂く。

「──今回は、見送らせていただきます」

「……わかりました。ご丁寧に、ありがとうございます」

ササモトはスッと立ち上がり、深く頭を下げ、面接室を後にした。
 
扉が閉まる音。

静寂が戻った室内で、エゾエはペンを走らせながら、短く書き記した。

「戦力」ではなく、「戦歴」だけの人。
 
第3話へつづく。