第6話からのつづき
──メディカルデラックス本部ビル・7階 面接室。
午後4時。
扉が控えめにノックされる。
「……失礼いたします」
静かに入ってきたのは、真面目そうな女性だった。
──森川恵(もりかわめぐみ)・29歳。
東京外国語大学大学院 修了。
正職歴なし。
英検1級、TOEIC980点、教員免許所持。
講師職希望。
黒のスーツに白のシャツ。
表情は真剣そのものだが、どこか“自分を見失っているような硬さ”がある。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
面接官のエゾエ慎太郎は、軽く会釈した。
「こちらこそ。お越しいただき、ありがとうございます。どうぞ、お掛けください」
「失礼いたします」
姿勢よく座ったモリカワは、すぐに口を開いた。
「講師職を志望した理由は、“努力が報われる場所”を探していたからです」
「努力が報われる場所?」
「はい、私は要領が良くないので、これまでずっとコツコツ型でやってきました。学生時代も、院でも、社会に出ても──就職活動も、失敗続きで……」
エゾエは、黙ってペンを走らせる。
「……だからこそ、教育現場なら、“正しい努力”が正当に評価されるのではと……思いまして」
「なるほど」
エゾエの声は穏やかだが、視線は鋭い。
「指導経験は、どのようなものがありますか?」
「短期で塾講師をしていたことがあります。あとは家庭教師も……でも、長くは……」
「得意科目は?」
「英語です。とにかく、文法・語法・読解、どれも……」
「なるほど」
エゾエは書類に目を落としながら、ふと顔を上げた。
「……モリカワさん。率直に申し上げてよろしいですか」
「……はい」
「“報われたい”という感情が強すぎる人は、教壇に立つと危ういんです」
モリカワの表情が一瞬固まる。
「……わかっては、いるつもりです。でも……やっぱり、私はこれまで──」
「頑張ってきたのに、うまくいかなかった、と」
「……はい。SNSでキラキラしてる人が評価されて、自己アピールが上手な人が内定を取っていく。“ズルいな”と思ったことも、正直、あります……」
エゾエは、数秒間、黙ってからこう言った。
「……モリカワさん、名前が“恵”なのに、恵まれていない人生ですね」
モリカワは、うっすらと笑った。
「……よく、言われます。“皮肉みたいだね”って」
エゾエは書類を閉じ、真正面から言葉を投げた。
「報われない理由を、社会のせいにしたくなる気持ちはわかります。でも──私には、あなたに“報われる素質”があるように見えます」
「え……?」
「高校時代、私は野球部でした。うちのベンチには、背番号すらもらえなかった控えの選手がいました。でも、道具を揃えて、声を出して、グラウンド整備も黙々とやっていた。ああいう存在が、チームには必要なんです」
モリカワは、言葉を失っていた。
「──採用しましょう。ただし、講師ではなく、“事務スタッフ”としてです」
「……え? 事務……ですか?」
「はい。でも、事務の仕事を甘く見てはいけませんよ」
「講師と生徒の橋渡し、保護者への連絡、チューターや講師、我々との情報共有。電話、メール、リアルでの会話や打ち合わせ、来客への対応……とにかく、多くの人とのコミュニケーションが必要な仕事なんです」
モリカワは、わずかに目を見開いたまま、静かに次の言葉を待っていた。
「あなたには、その仕事を任せる価値があると思います」
エゾエは続ける。
「責任とポジションさえ与えれば──あなたは、ものすごく努力できる人だと、私は思います」
モリカワの目に、うっすらと光が宿った。
「……はい。ありがとうございます。やってみたいです……今度こそ、ちゃんと“役割”を果たせるように」
エゾエは頷いた。
「ようこそ、メディカルデラックスへ。ここは、“努力の方向”さえ間違えなければ、報われる場所です」
──扉の外。
モリカワ恵は、深く息をつき、顔を上げた。
まだ未来は、何も変わっていない。
けれど、たった今、居場所の“入口が、ひとつ開いた気がした。
──エゾエは、履歴書の余白にこう記した。
「配置すれば、必ず伸びる。戦力化前の努力型」
窓の外、春の光。
エゾエは、ひとりごとのように、心の中でつぶやいた。
「こういう人間が、チームを強くするんだ」
第8話へつづく