第10話:その実績、本物か

メディカルデラックス本部ビル・37階。

受付を済ませ、案内されたのは白を基調にしたガラス張りの面接室。

午後2時ちょうど。

イチカワ雄二は、重厚な扉を開けて一歩踏み出す。

室内には、ひとりの男が既に着席していた。

黒のスーツに、無駄のない姿勢。無表情の奥に静かな温度が潜む。

──エゾエ慎太郎。メディカルデラックスの人事責任者。

「あ〜……お久しぶりです、エゾエさん。いや、“江添部長”、ですね」

イチカワは、ニヤリと笑い、あえてくだけた口調で言う。

「まさか、面接官としてお会いするとは。ご縁って面白いもんですね」

エゾエは軽く会釈し、静かに言葉を返す。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます。どうぞ、おかけください」

「はい、失礼しまーす」

座ると同時に、イチカワはバッグからファイルを取り出してテーブルに差し出す。

「こちら、僕の合格実績です。ご覧いただければ一目瞭然かと──現代文指導で、ここまで“受からせて”きました」

エゾエはファイルを開き、視線を滑らせた。

国立大学や有名私大の名前が並ぶ。確かに合格者の実績はそれなりにある。

だが──

上智大学文学部。
配点は、現代文100点、英語150点、社会100点のはずだ。

明治大学政治経済学部。
配点は国語100点(しかも現代文だけではなく古文も含む)、外国語150点、、地歴・公民・数学のいずれかで100点。

日大芸術学部写真学科。
ここは、確かに現代文と面接だけの試験かもしれないが、配点は現代文100点で面接は200点満点。現代文の力は確かに必要だが、それ以上に面接による配点が高い。

エゾエはページを閉じ、静かに問いかけた。

「これらの合格実績は、すべて現代文の成果とお考えですか?」

「ええ、もちろん。僕の授業を受けたことで“文章に向き合う姿勢”が変わった生徒は、本当に多いんですよ。国語が伸びれば他の教科も引っ張られる。それが僕の経験上の結論です」

イチカワは自信に満ちた表情を浮かべる。

「……なるほど」

エゾエは、目を伏せながら一拍置く。

「それでは、こういった事例をご存知ですか?」

イチカワが怪訝な表情を浮かべると、エゾエは淡々と話し始めた。

「“朝食を毎日食べる子どもは、学力が高い”。OECDの調査でも、こうした相関は報告されています」

「はい、聞いたことあります。朝食で栄養を摂れば脳が活性化して、学習効率が──」

エゾエはそこで、すっと視線を上げた。

「──そう解釈するのが一般的ですが、別の視点もあります」

「どういう視点ですか?」

「例えば、“朝食を食べるほど余裕を持って起床できる生活習慣が身についている”ということ。その背後には、睡眠時間、計画性、自己管理能力、さらには安定した家庭環境がある」

エゾエの解説は続く。

「つまり、“学力が高い”のは、“朝食を食べたから”ではなく、“朝食を食べられる生活習慣を持っているから”という見方もできるんです」

イチカワが、少しだけ眉をひそめた。
エゾエはそのまま、まっすぐ言葉を継ぐ。

「“国語が伸びれば、他の教科も伸びる”。それは本当に、”国語が原因”でしょうか?」

イチカワ、口を開きかけて閉じる。

「生徒が勉強習慣を身につけ、集中力が増し、勉強の方法を学んだ。だから、国語と一緒に他の教科も伸びた。そういう可能性も考えられませんか?」

イチカワは答える。

「もちろん、そういうこともあるでしょう。全否定はしません」

「しかし、“国語が原因”と決めつけたとき、他教科への敬意や、複合的な分析が失われます。つまり、原因を単純化しすぎると──それはもう、理論じゃなく“キャッチコピー”になる」

イチカワの口元がわずかに強張る。

「子どもに響かせるには、“言い切り型”のスローガンが効果的なのは分かります。けれどそれは教育理論ではない。マーケティングです。……あなたは、その違いを区別できていますか?」

室内の空気が、一瞬、静止した。

イチカワは、笑みを浮かべたまま何も返せない。

エゾエは、ペンを静かに置き、最後にこう告げた。

「──イチカワさん。あなたには、あなたなりの信念とスタイルがあるようです」

イチカワはゴクリと唾を飲む。

エゾエは続ける。

「そして実績もある。ならば、いっそご自身で塾を立ち上げてみてはいかがですか? 規則と連携を重視する私の下では──あなたの“らしさ”は、かえって抑圧されるかもしれません」

イチカワは、にやりと笑った。目は笑っていない。

「……いいですね、その提案。あなた、後悔しますよ? 僕を落としたことに」

エゾエは一言も返さず、履歴書を静かに伏せた。

イチカワは立ち上がり、乱暴に椅子を引いて扉へ向かう。

去り際に、捨て台詞のように吐き捨てる。

「覚えてろよ、エゾエ……“UPゼミ”で証明してやるからな。俺様の教育が……本物だってことをよ」

ドアが閉まる。

面接室には再び、白い静寂が戻った。

エゾエはただ一言、胸の中でつぶやく。

「教育に必要なのは、キャッチコピーではない」

第10話へつづく