第11話からのつづき
──その日の夜。
イチカワ雄二は、ファミレスの片隅で、ノートパソコンを開いていた。
「エゾエ……あんた、見る目ないね」
ニヤリと笑う。
「こっちはもう次のステージに進んでるんで──」
画面には、新しく立ち上げたウェブサイトのトップページ。
塾名は、「UPゼミ」。
その意味も、しっかりと説明されている。
Unleash Your Potential──あなたの潜在能力を解き放て。
全コース現代文オンリー。
“受験に勝つ文章読解法”を月額9,800円で動画配信。
PDF課題は週3回。ブログ読了が受講条件。
その下にこう書かれていた。
現代文ができれば、すべての教科が伸びる。
UPゼミ代表講師・Youzee Ichikawa
SNSには、
#UPゼミ #偏差値爆上げ #現代文で世界を変える
などのハッシュタグ。
開設初日は、フォロワー24人。
2日後には13人。
1週間後、アクセスはほぼゼロ。
noteに書いた長文コラムも、いいね1件(自分)。
「なんで……? おかしいな……教材は完璧だし、内容も悪くない。検定1級も全部ある。合格実績だって……」
だが、現実はシビアだった。
現代文“だけ”をやりたいという受験生は少ない。
そもそも、ブログ記事と動画が言っている内容がほぼ同じ。
「動画観るよりブログ読めばいいですよね?」と、最初の受講生が退会。
その数ヶ月後には、ゼミの運営費(ドメイン・サーバー代・広告出稿費、リスティング代)に耐えられず、UPゼミは、ひっそりと更新を止めた。
──そして、ある夜。
新宿の外れにある、古びた居酒屋「うらがわ」。
看板にネオンはない。
メニューにあるのは、おでんとハイボールと、ちくわぶ。
カウンター奥の定位置に、ゴンドウ龍太郎が座っていた。
いつものように、ハイボールと、ちくわぶ。
ふと横を見ると、見知らぬ男がちくわぶを潰すように箸で突き刺していた。
ヨレたYシャツ。髪は少し乱れて、目はどこか虚ろ。
「……あんた、相当煮込まれてるな」
ゴンドウが声をかけると、その男はゆっくり顔を上げた。
「……“現代文ができれば、全部できる”って……間違ってなかったんだよ……」
男のつぶやきは続く。
「生徒だって、泣いて感謝してくれて……なのに、なんで……」
名札も名刺もない。
だが、その顔──どこかで見たことがあるような気もした。
「ふん……で、今は何してんだ?」
男は空になったグラスを見つめながら、まるで独り言のように続ける。
「オレ? UPゼミ……代表講師……だった……」
その名を聞いたとき、ゴンドウの目が一瞬だけ細くなった。
「あー、なんか聞いたことあるな、それ……現代文だけのオンライン塾だろ?……やっぱ、ああいうのは、どこかで無理が出るよな」
男はうつむき、ちくわぶをまた突いた。
ゴンドウは優しく語りかける。
「煮込みすぎたんだな……いろいろと。いや、煮詰まった、のかな?」
ゴンドウは、黙ってハイボールを一口飲み干した。
そして、ぽつりと呟いた。
「ちくわぶってのはな……何にもなれなかった練り物の、行き着く先だ」
夜の「うらがわ」は静かだった。
ちくわぶが静かに、鍋の中でふやけていく音だけが響いていた。
──イチカワ雄二、UPゼミ代表講師。
かつて、主役を夢見た男の、エンドロール。
所変わって、都心の高層ビル37階。
ガラス越しに光が差す、メディカルデラックスの応接室。
静かな時間が流れる中、ドアが小さくノックされる。
コン……コン……コン。
机の奥に座る男が、ペンを置き、顔を上げた。
「──どうぞ、お入りください」
その声は今日も変わらず落ち着いていた。
第13話へつづく