第12話:煮詰まった男

第11話からのつづき

──その日の夜。

イチカワ雄二は、ファミレスの片隅で、ノートパソコンを開いていた。

「エゾエ……あんた、見る目ないね」

ニヤリと笑う。

「こっちはもう次のステージに進んでるんで──」

画面には、新しく立ち上げたウェブサイトのトップページ。

塾名は、「UPゼミ」。

その意味も、しっかりと説明されている。

Unleash Your Potential──あなたの潜在能力を解き放て。

全コース現代文オンリー。

“受験に勝つ文章読解法”を月額9,800円で動画配信。
PDF課題は週3回。ブログ読了が受講条件。

その下にこう書かれていた。

現代文ができれば、すべての教科が伸びる。
UPゼミ代表講師・Youzee Ichikawa

SNSには、
#UPゼミ #偏差値爆上げ #現代文で世界を変える
などのハッシュタグ。

開設初日は、フォロワー24人。

2日後には13人。

1週間後、アクセスはほぼゼロ。

noteに書いた長文コラムも、いいね1件(自分)。

「なんで……? おかしいな……教材は完璧だし、内容も悪くない。検定1級も全部ある。合格実績だって……」

だが、現実はシビアだった。

現代文“だけ”をやりたいという受験生は少ない。

そもそも、ブログ記事と動画が言っている内容がほぼ同じ。

「動画観るよりブログ読めばいいですよね?」と、最初の受講生が退会。

その数ヶ月後には、ゼミの運営費(ドメイン・サーバー代・広告出稿費、リスティング代)に耐えられず、UPゼミは、ひっそりと更新を止めた。

──そして、ある夜。

新宿の外れにある、古びた居酒屋「うらがわ」。

看板にネオンはない。
メニューにあるのは、おでんとハイボールと、ちくわぶ。

カウンター奥の定位置に、ゴンドウ龍太郎が座っていた。
いつものように、ハイボールと、ちくわぶ。

ふと横を見ると、見知らぬ男がちくわぶを潰すように箸で突き刺していた。
ヨレたYシャツ。髪は少し乱れて、目はどこか虚ろ。

「……あんた、相当煮込まれてるな」

ゴンドウが声をかけると、その男はゆっくり顔を上げた。

「……“現代文ができれば、全部できる”って……間違ってなかったんだよ……」

男のつぶやきは続く。

「生徒だって、泣いて感謝してくれて……なのに、なんで……」

名札も名刺もない。
だが、その顔──どこかで見たことがあるような気もした。

「ふん……で、今は何してんだ?」

男は空になったグラスを見つめながら、まるで独り言のように続ける。

「オレ? UPゼミ……代表講師……だった……」
 
その名を聞いたとき、ゴンドウの目が一瞬だけ細くなった。

「あー、なんか聞いたことあるな、それ……現代文だけのオンライン塾だろ?……やっぱ、ああいうのは、どこかで無理が出るよな」

男はうつむき、ちくわぶをまた突いた。

ゴンドウは優しく語りかける。

「煮込みすぎたんだな……いろいろと。いや、煮詰まった、のかな?」

ゴンドウは、黙ってハイボールを一口飲み干した。
そして、ぽつりと呟いた。

「ちくわぶってのはな……何にもなれなかった練り物の、行き着く先だ」

夜の「うらがわ」は静かだった。

ちくわぶが静かに、鍋の中でふやけていく音だけが響いていた。

──イチカワ雄二、UPゼミ代表講師。
かつて、主役を夢見た男の、エンドロール。

所変わって、都心の高層ビル37階。

ガラス越しに光が差す、メディカルデラックスの応接室。
静かな時間が流れる中、ドアが小さくノックされる。

コン……コン……コン。

机の奥に座る男が、ペンを置き、顔を上げた。
「──どうぞ、お入りください」

その声は今日も変わらず落ち着いていた。

第13話へつづく