第10話からのつづき
西新宿のタワービル内。
メディカルデラックス本部。
曇天の光が、応接室のガラスに鈍く反射していた。
「……また一人、辞退ですか?」
スタッフの報告に、エゾエ慎太郎は無言で頷く。
このところ、連日の面接ラッシュ。
書類選考、教室見学、新規パンフレットの最終チェック…。
現場スタッフたちとの定例ミーティング、講師からの問い合わせ対応。
「エゾエ部長、ちょっと休まれては?」
「いや、人材は、一期一会ですから」
笑ってはみせたが、鏡に映る自分の顔には、わずかなクマ。
ネクタイは曲がっていた。
手にしたコーヒーカップが、かすかに揺れる。
疲れは、確実に、深部から彼を蝕んでいた。
──そしてもうひとつ。
業績の悪化が、じわじわとエゾエを追い詰めていた。
昨年までとは違い、わずかに入塾者が減っているのだ。
個別指導などの追加オプションの申込件数の伸びも緩い。
富裕層ターゲットの限界。
雨後のタケノコのように現れる、”医学部専門”を謳う安価な塾たち。
YouTuber講師による急拡散型マーケティング。
「メディデラ」は、クオリティと安定感で勝負してきた。
だが、SNSの戦場では──
「まとも」が、届かないこともある。
業績低迷の打開策として、何か、もう一手。
何か、もう一押し。
そう、起爆剤が、欲しい……。
そう思っていた、その日。
コン……コン……コン……
応接室のドアが、妙に豪快な音でノックされた。
ドア越しでも分かる、場の空気を無視した“勢い”。
「本日はどうぞよろしくお願いいたしますッ!!」
入ってきたのは──
光沢のあるダブルのスーツ、太めのネクタイ、無駄に存在感のある男。
名刺を差し出すよりも先に、履歴書が差し出された。
「島田巧と申します。いやぁ、立派なビルですね。こりゃあやりがいありそうだ」
エゾエは、履歴書に目を落とした。
──太いボールペンの筆圧が、紙を凹ませていた。
「島田巧、ケンブリッジ大学 医学部 首席卒業」
島田タクミ…?
どこかで聞いたことのある名前。
そうだ、カンゾウ……関東学力増進機構の塾長だった男だ。
その男がなぜここへ?
そこに社長のカトウが部屋に入ってきた。
「今日はな、エゾエくん、ちょっと疲れてるようだから、私も同席させてもらうことにするよ」
エゾエは無言で頷き、男に向けて質問を投げかけた。
「あのカンゾウの塾長さんが、どうしてまた?」
タクミは、涼しい顔で笑った。
「まあ、いろいろありましてねぇ」
胸の奥に、微かな“引っかかり”が生まれた。
表情を変えずに探りを入れる。
「いろいろ……?」
男は肩をすくめた。
「時代の流れですよ。でもまあ、学歴も実績もありますし、なにより“結果”を出せばいいんでしょう?」
自信が、身体全体から滲み出ていた。
目の前の男は続ける。
「50人です! 半年の間に50人の新しい生徒を入学させてみせましょう!」
エゾエは苦笑いしながら、履歴書に目を落とした。
学歴の欄には、堂々とこう書かれていた。
「ケンブリッジ大学 医学部主席卒業」
「……これも、本当なんですか?」
タクミは、間髪入れずに答えた。
「まさか、疑ってらっしゃる?」
胸の奥の引っ掛かりが、ほんの少しだけ大きくなった。
応接室の空気が、静かに波立ちはじめた。
社長のカトウが、笑いながら口を開いた。
「まあまあまあ。半年で50人、新規獲得できるんなら、細かいことはいいだろ?」
島田という男は、ニヤリと口角を上げた。
「できますよ。やり方は、ありますから」
この自信はどこから生まれるのだろう?
胸の奥の引っ掛かりが、静かに波紋を広げ始めた。
結果は後日連絡することにして、島田を返した後、社長・カトウが笑いながら言った。
「半年で50人、新規獲得できるって言うなら、細かいことはいいだろ?」
エゾエは、目を閉じた。
業績低下、新規開拓、次の一手、新しい一手、起爆剤……
これらの言葉がエゾエの中をぐるぐると駆け巡る。
起爆剤、か。
エゾエは、ゆっくりと目を開いた。
「──わかりました。採用しましょう。」
-完-
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