第4話:堀口ミサキの進学

──高円寺。ネオンが瞬く夜の街。
キャバクラ『不夜城』。

島田タクミは、安いウイスキーをちびちび舐めながら、いつもの席に座っていた。

「あら、また来てくれたんですか? 指名料、もったいないですよ?」

ニコリと笑ったのは、美咲。

派手な見た目のわりに、落ち着いた受け答えをする、珍しいタイプのキャバ嬢だった。

「……いやなに、お前を眺めてると、脳が活性化するんでな」

軽口を叩きながらも、タクミの目は鋭かった。

この女──見た目は派手だが、頭の回転が速い。客に合わせて話題を変えるトーク力と鋭い観察眼がある。

「こいつ、育てりゃ化けるかもな……」

タクミの脳内はせわしなく働きはじめる。

──この女、カンゾウの受付に置いたら絵になるな。

──パンフレットに載せたら集客にも使える。

──大学生バイトってことにしときゃ、堂々と帰りに飯にも誘えるしな。

酒とタバコの煙の向こうで、タクミはニヤリと笑った。

そしてある夜、グラスをテーブルに置いた島田は言った。

「なあミサキ、お前、大学行く気はないのか?」

「え? 今さら? もう9月ですよ。今から勉強始めたって無理ですよ」

「半年でオレが大学生にしてやる」

「……またまたぁ。塾長さんの営業トークでしょ?」

「違う。“個人的な投資”だ。」

タクミはズズッとウイスキーの水割りをすすった。

「学費は全額、俺が負担してやる。ふふ、何せ俺は予備校の塾長だからな。金のことは心配するな、安心しろ。」

「……どうしてそこまでしてくれるんですか? そこまでして、私を大学に入れようとするなんて……」

タクミは少し笑みを浮かべ、グラスの氷をカラリと鳴らした。

「高卒だと、カンゾウの受付嬢にしづらいんじゃ。でも“現役大学生”なら大手を振って雇える。」

「……は?」

「そしたら、毎晩、塾長権限でお前をメシに誘える。“社会勉強だ”ってな」

「……」

ミサキはドン引きした顔で黙った。

だが、タクミは平然と続ける。

「お前に損はない。“大卒”って肩書きは、いわば“信用証明書”だ。入れる場所が増える。ローンも組みやすい。結婚するとき、相手の親の心象もいい──なにより、世界が広がる。……世界が広がった方が、人生、楽しいぞ」

その熱に、ミサキの心が少し揺れた。

「……でも、勉強、キツそうだな」

「高卒認定は簡単だ。 “例の方法”ってのがある」

タクミは、得意げにタバコに火をつけた。

「“例の方法”?なにそれ?」

タクミは不敵に笑う。

「“問題文を読まないで正解を導く”技だ。」

「そんなことできるんですか?」

「できる! 選択肢を“出題者の心理”で逆算して、最も正解っぽく見せかけた“誤選択肢”を消去していく。つまり、“一番消しづらいやつ”が正解なんだよ」

──それは、タクミが高校時代に使い倒した“裏ワザ”だった。

問題文をろくに読まず、選択肢を比較し、構文を解体し、共通点と反対語を並べて正解を導く。

「“答え”はいつも、作問者の“良心”から始まるんだよ」

タクミは力説する。

「出題者の良心を逆手に取る。消しづらい選択肢が正解だ。東大心理学部出身の俺が言うんだ、間違いねぇ」(※注:島田タクミの学歴詐称です)

英語? 中1レベルからでいい。
国語? 都立高の現代文の演習で十分。
社会? 音読して細胞に刷り込め。

……それでも無理そうだったら?

すべては、「合格だけ」を目的とする、最短ルートの構築。

──もし、それでも落ちそうだったら?

「そんときゃ、ゴンドウ”に1本(100万)包んで学長に届けてもらおう。あいつ、そういうのは得意だからな……」

心の中でタクミはほくそ笑む。

タクミのこの“狡猾さ”が少子化時代に生徒200名以上を抱える中堅予備校の勝ち組たりえてる理由でもあるのだ。

そして、タクミの打算まみれの指導が始まった。

半年後。

都内の某私立大学・人間科学部。

堀口美咲。
──彼女の名前は、合格者一覧にあった。

「……受かった……」

春の空の下、ミサキはつぶやいた。

試験問題は想像以上に簡単だった。
世界史は、タクミの「裏技」だけで8割正解。
英語はマーク模試の過去問演習、国語は都立高校の過去問演習だけでどうにかなった。

タクミがミサキに受験させた大学は、倍率が低く、例年1倍前後だということも大きかった。
そう、ネームバリューなどの「ブランド」にこだわらず、ただ「大学に入るだけ」なら、やり方はある。
それを証明した受験だった。

ドアを開けると、タクミが腕組みして待っていた。

「よう、“女子大生”」

「──報告だけですよ。合格したんで、もうここには来ません」

「……そっか」

「でも、ありがとうございました。“世界”ってやつ、ちょっと見てみたくなったから」

そう言って、ミサキは軽く笑って、キャバクラ「不夜城」の名刺をタクミに渡した。
タクミはしばらく黙って、彼女を見送った。

そして、呟く。

「……受付嬢に置く計画が、パーか」

キャバクラ「不夜城」の裏には、ミサキの達筆な文字で「このお店にも戻りません。今までありがとうございました」と書かれていた。

「……ちくわぶどころか、餅巾くらいにはなったかな、あいつ」

ビルの外に出ると、ふと小腹が空いた。

「……あの屋台、まだやってるかな。今日は牛すじと餅巾だな。タコもいいな。ちくわぶ? ──まあ、たまには、ありか」

タクミは、夜の風の中へ歩き出した。

第5話へつづく