秋の風が稲穂を揺らす頃――
イカルガ塾の朝は、いつものように土の匂いと鳥のさえずりに包まれて始まった。
だがその裏側では、「新しい学びのシステム」が着実に根を張りはじめていた。
黒板の横には、塾生ごとの週間学習ダッシュボードが貼られ、寮には自習達成度マグネット表が導入されている。
面談ノートはクラウドに移行し、塾生たちはスマホで前回の振り返りを確認してから面談に臨むようになった。
「ようここまで育ったわ」
館長のウルシベが目を細める。
その言葉を受けたダイキは、軽く頭をかいた。
「いえ、もともと畑は肥えてましたから。僕は、種を撒いただけです」
このシステム改革には、思いがけない副産物もあった。
卒業生データベースからの医師や議員、イカルガ塾OBからの協力申し出が増えたのだ。
「“面白いことやっとるらしいな”と噂が広まってる」とマサトが報告してくれたある日、関西圏の大学病院と塾との人材育成連携プロジェクトが始動することが決定した。
生徒たちが大学の公開講座にオンライン参加できるルートも整備され始めていた。
土着と洗練の融合。
ダイキの手がけた「仕組み」は、ウルシベの持つ「縁」と、マサトの繋いだ「地元」とを滑らかに結び始めていた。。
たとえば、リアルな医療体験を組み込んだIMSプログラム(Individual Medical Shaping Program)を構築できたのは、ウルシベの人脈と、ダイキのノウハウあってのものだった。
今では、白衣姿の受験生たちが、まるで研修医のような真剣な眼差しで、血圧を測り、エコーに触れ、現場医師と対話をするようになっていた。
「地域医療」と「倫理観」の醸成。
これは、ウルシベが政界や大学医局、医師会と強固なネットワークを築いてきた背景あってこそ成立する土壌だった。
ダイキは、それに“構造”を与えた。
IMS体験を記録・可視化し、面接や小論文に活用する「MyMedicalLogシステム」。
AIによる学習傾向分析を基にした、個別最適化カリキュラム。
講師による授業が録画・タグ化され、生徒・保護者があとで自由に再視聴できる「斑鳩アーカイブ」などなど。
(カンゾウでは、すべてがアナログで、それでも熱量だけで回っていた。だが、ここではそれを“システム”として定着させることができる……)
(STXは、富裕層のコネはあった。だが、それを“循環資本”に変える仕組みがなかった。イカルガには、その循環の“土”があった……)
(国立塾は、スローガンは立派だった。だが、中身は空転しているように見えた。だがここでは、言葉ではなく、地域と人が動いている……)
(そして、メディデラは、サービスも指導も最高級だった。だが、それはエゾエさんという“奥義の要”に依存しているように感じた。彼が外れれば、再現性はなく、持続も危ういのでは? だが、イカルガには、持続を生む“土”がある……)
そう、ダイキの東京での塾巡りは決して無駄にはなっていなかったのだ。
斑鳩塾は、ゆっくりと、しかし確実に変わっていった。
「なあ、マサト。……なんで俺、今、こんな気持ちなんだろうな」
夜、囲炉裏を囲んで一緒に焼いたナスをかじりながら、ダイキが漏らす。
「どんな気持ちや?」
「……なんか、ずっと探してた“答え”を、田舎の地べたで見つけたような、そんな気がして」
マサトは焼酎のグラスを掲げて笑った。
「それ、最高やん。答えは、最初から都会にはなかったんやな」
イカルガ塾の「寮」は、もともと農家の空き家を利用していたが、今や地域の人々の知恵と協力でリノベーションが進んでいた。
「ここ、昔は牛飼うとった納屋やで」と笑いながら説明してくれる農家のおばちゃんの横には、次週から東京から来る寮生の布団がすでに用意されていた。
そして、もうひとつの“変化”。
それは、ダイキの心に芽生えた、ある人への想いだった。
マサトの幼なじみで、地元の図書館職員のユリカ。
口数は少ないが、教育に熱く、塾の改革にも静かに協力してくれていた。
ある日、ダイキが進路相談に使っていたウッドデッキの縁に彼女が座り、ぽつりと呟いた。
「……この塾、変わったね。でも、変わってないところもある。どっちも、私は好きだよ」
ダイキは、何も言わず頷いた。
言葉よりも、風の温度がすべてを語っていた。
数ヶ月後、彼は正式に「斑鳩塾・教育戦略アドバイザー」に就任した。
「西のキングダム、完成やな」とマサトが笑う。
「いや、まだまだ未完成だよ。まだまだやりたいことあるから」とダイキは返した。
その後、斑鳩塾は名実ともに名門医学部専門予備校として評価されていくようになる。
医系進学の世界で、“斑鳩ルート”は名門私立をもしのぐブランドとなりつつあった。
受験業界では、「西のイカルガ、東のメディデラ」と呼ばれるようになるのも、この頃からである。
かつての仲間だった者たちが「竹内、お前いつの間にそんな場所に……」と驚くたびに、ダイキは肩をすくめた。
「いや、たまたま流れ着いただけだって」
ーー
数年後。
カンゾウ倒産のニュースが、週刊誌のネット記事として報じられた。
東京のテレビでは、あの“絶叫男”が話題になっていた。
「俺は何も悪くない!!」と絶叫する男、島田タクミ。
画面の向こうで繰り返されるその映像を見て、ダイキはふと思い出す。
――あの、ラガーシャツの男。
カンゾーの雑然としたエネルギー。
女子高生の囲まれにニヤついていた塾長だ。
しかし、今ではその全てを今、ダイキは肯定する気持ちになっていた。
「……ああ、やっぱりか。そろそろ潰れると思ってたけど、よく持ちこたえたよな、あの塾も」
どこか惜しむような気持ち、懐かしむような気持ち、そしてあの時出会った担任、カデノコウジのことを思い出す。
「……カデノさん、じゃなくて、カデノコウジさんだっけ?あの人大丈夫かな?」
ダイキの胸の中に、いくつかの想いが交差した。
「で、満足しとるか?」
農園の軽トラの荷台で、マサトが缶コーヒーを差し出す。
ダイキは受け取り、笑った。
「いや、まだまだだよ。次は、海外連携を視野に入れた“国際医療IMS”……いや、ちょっと言い過ぎか。でもな、面接や小論文で“未来の自分”を語るには、本当に未来を描いてやらないと、ダメなんだよ」
マサトは吹き出した。
「お前、また大きく出たなあ……」
ダイキは空を仰ぎ、笑った。
「ま、言うだけタダだろ」
彼の目には、斑鳩の夏空が澄んでいた。

斑鳩塾は今日も、静かに、しかし確実に未来へ向かって歩み続ける。
その中核にいるのは、どこか頼りなく、都会を放浪していた元コンサルタント――竹内大軌だった。
– 完 –