その日も、関東学力増進機構(カンゾウ)の塾長室には、香ばしい天ぷらの匂いが充満していた。
スナック「うたかた」のテイクアウト。
もちろん、経費で落とした。
「おう、ヤマニシ。あれ、もう手配した?」
「はい、社長。コピー機のリース料金、教材費、あと…マオ部長の交通費も含めて…」
「おう、でかした!」
タクミは顎で返事をしながら、天つゆの皿にししとう天をくぐらせる。
すべてが“日常”だった。
営業部隊は電話をかけ、生徒は増え、金は流れ、女は寄ってくる。
カンゾウという帝国の“王”として、タクミは君臨していた。
だが、その王国の足元では、静かに“火種”が燃え始めていた。
発端は、総務のベテラン職員・ツチカワの“素朴な疑問”だった。
「……この領収書、3月25日付けで“銀座ラウンジ華音”って書いてあるんですけど、うちの合宿って、今年は4月スタートですよね?」
「……え?」
経理データのファイルでは“打ち合わせ経費”として処理されていたが、どう見ても高級クラブの伝票だった。
他にもあった。
・教材費として落とされているスナック「うたかた」のボトルキープ伝票
・講師謝礼名目の電子マネーギフト
・ダーツバーのVIPルーム使用料
・オンラインカジノへの送金記録を転用した“研修視察費”
「……これ、全部、島田塾長が処理したものですよね?」
ツチカワは、迷った末に、役員の一人・アカザワに相談する。
アカザワは、元銀行マンの叩き上げ社員だ。
タクミに拾われた恩はあったが、同時にずっと“冷めた目”でも見ていた。
「……これは、もう見過ごせませんね。私が動きます」
社内で極秘裏に資料を集めたアカザワは、理事会を招集。
その場で、タクミに対して事情聴取が行われた。
「おい、何のつもりだこれは。俺がいなきゃ、この塾、ここまで来てねぇぞ!」
「わかってます。ですが…これは、私的流用です。金額があまりに大きすぎる」
「誰のおかげでここが回ってると思ってるんだ!」
アカザワは冷徹に言い放つ。
「……代表として、責任を取ってください」
「ふざけんな……!」
声を荒げたタクミだったが、もはや誰も、彼の味方をしなかった。
役員全員一致で、タクミの「代表取締役および塾長の解任」が決議された。
翌日、カンゾウ内には「島田塾長、退任」の張り紙がひっそりと掲示された。
本人の姿はどこにもなかった。
すでにその前夜、タクミはこっそりと自宅を引き払い、スーツケースひとつで姿を消していた。
彼が去った後のカンゾウでは、誰も口に出せなかったが、ある種の“安堵”が漂っていた。
「……あのマオって女子大生、もう来ないよね」
「名簿、普通に配られるようになって助かったよ」
そうつぶやく社員の声に、春の風が吹き抜けていった。
だが、誰も知らなかった。
この“追放”こそが、タクミにとっての新たな野望の“序章”であることを──。