第16話:名前を変えて収益倍増

ノイズの走る画面に、初老の男の姿が少し遅れて浮かび上がった。

いつもの白衣。

その男は、上杉高充(うえすぎたかみつ)。

背景はいつもの病院の応接室のようだ。年代物のソファと黄ばんだ壁紙が見える。まるで長年使われた写真を無理に引き伸ばしたように、全体がぼやけて見える。

「いやぁ、先生。この前もありがとうございました。急にお時間いただいちゃって──」

和波知良(わなみかずよし)のアバター、フクロウのWは、ゆっくりと左右にゆらゆらと揺れている。何も言わない。ただ、聴いている。

「いやぁ、今回はね、ちょっとお金のことなんです。いや、もちろん今も金銭面には特に不自由していません。息子の予備校の学費も入学後の資金も十分に用意してますから」

Wは無言で揺れ続ける。

「でもね……やはり将来のことを考えると、もう少し資金を確保しておきたいんです。息子が大学に入れば、寄付金を求められることもあるでしょうし、海外留学なんて言い出すかもしれない。そうなると、不意の出費もバカになりません」

ウエスギの声は、どこかため息混じりだった。

「もちろん今でも大丈夫ではありますけど、備えあれば憂いなし。で、考えたんですよ。収入を増やす方法を」

一拍置いて、彼は続けた。

「ご存知のとおり私は地元で皮膚科をやっています。地方の小さな医院です。でも、実は美容系──美肌とか美白、シミ取りなんかもできるんですよ。保険適応外の高額な施術です。都会の渋谷や青山にあるような、セレブや若い女の子に人気のクリニックがやってるやつです」

その声は都会への羨望がかすかに滲んでいた。

「でもね、どうも抵抗があるんです。私はあくまで“医者”でありたいんです。患者さんの肌トラブルや病気を治療するのが本分だと考えています。そんなチャラチャラした美容クリニックに路線変更なんて……地元の目もありますしね」

自分に言い聞かせるような口調だった。

「でも、それをやれば、確実に収入は上がる。実際、私もやろうと思えばできる。でもどうも踏ん切りがつかないんです。先生、どうしたものか……」

Wはしばし沈黙し、やがて静かに口を開いた。

「病院の名前を“医院”から“クリニック”に変えたらどうでしょう?」

「……え?」

「“上杉医院”という名前だと、どうしても“古い印象”があります。若い人には馴染みが薄いかもしれません。」

「……名前を……変える?」

ウエスギはしばらく黙っていたが、急に目を輝かせた。

「上杉医院を……上杉クリニックに! なるほど、それならまったく問題ありません。カタカナに会社名を変える企業は昔からあります。松下がパナソニックになったようにね」

ウエスギの声が、声は高揚感を帯び、一気に弾んだ。

「それに比べれば、医院をクリニックに変えることくらい……あ、なるほど! “医院”だと古臭いイメージだけど、“クリニック”にすれば若返りますね! そうすれば若い患者も来るかもしれない!」

ウエスギの声は興奮で一段と大きくなった。

「そして若い患者が来れば、“先生、美肌治療してもらえませんか?”とか“シミ取りもできますか?”なんて頼まれるかもしれない。でも、私は医者ですからね。頼まれれば治療する。いやぁ、これはいい! 美容を前面に押し出さずに、自然に収入アップを目指せる!」

ウエスギの顔には安堵と高揚が入り混じっていた。

「先生、ありがとうございます! 早速、看板を変えます! 上杉クリニックに!」

画面が暗転し、フクロウのアバターも消える。

画面が暗転し、黒くなったモニターにワナミの部屋がぼんやり映り込んだ。
テーブルの上にはビターなダークチョコレート。

今日のテーブルの上には、ビターなダークチョコレート。
ワナミはエスプレッソをゆっくり淹れ、立ち上る香りを楽しんだ。

スマートフォンが静かに震え、“振込完了通知 ¥150,000”の文字が表示される。
画面の下には“上杉高充(ウエスギ・タカミツ)”の名がある。

ワナミは振込通知の画面をしばらく眺め、スマートフォンをテーブルに置いた。
そして、ダークチョコレートを静かにひとかけら口に運ぶ。

数ヶ月後──。
「上杉クリニック」の看板が町に新たに掲げられた。

「こクリニックで美肌になりました!」という人気インフルエンサーがSNSで写真を投稿。

それが拡散し、若い女性患者が殺到。予約は常に満員。
収入は倍増し、地元でも評判の「人気クリニック」となった。

ある日のこと。

Zoomの相談をひとつ終え、ワナミはソファに深く腰を下ろしていた。
テーブルの上にはガトーショコラとエスプレッソ。
フォークを手に取り、ひと口味わったそのとき──
スマートフォンが静かに震えた。

画面には“振込完了通知 ¥1,000,000”。

送り主は“上杉高充(ウエスギ・タカミツ)”。

ゼロの並びを見て、片眉をほんの少し上げた。やがて、苦笑が口元に広がった。

第17話へつづく