第24話:塾が多すぎて、もうわかりません(後編)

Zoomの画面越し、Wのフクロウアバターがゆっくりと首を傾ける。

「……ミノウラさん。ご主人、不動産関係のお仕事でしたよね?」

突然の問いかけに、ヒデミは一瞬、目を丸くした。

「え? あ、はい……。賃貸管理の会社に勤めてます。マンションやアパートの家賃の管理とか、建物のメンテナンス、入居者対応とか、そういう仕事ですけど……それが何か?」

賃貸管理会社。つまり、不動産オーナーと入居者の間に立って、建物の維持・運営に関わる仕事だ。

Wのアバターは、まるでそこから何かを読み取るかのように、少しだけゆらりと揺れた。

「でしたら……きっと、話が早いですね」

Wの声が穏やかに続く。

「もしよければ、ご主人の力も借りて、候補の塾の所在地を調べてみてください。立地、ビルの構造、周辺の地価。どこがテナントで、どこが自社ビルか。あるいは共有物件かどうか。実は、そこから見えてくる“真実”も少なくないんですよ」

ヒデミは思わず画面に前のめりになる。

「……家賃、ですか?」

「ええ。たとえば、月謝が5万円の塾が、渋谷駅前のビルに入っていて、生徒が50人いるとしましょう。単純計算で、月の売上は250万円前後ですよね。そこからテナント料、人件費、光熱費、広告費……いろいろ差し引いたら、残る利益はそれほど大きくはない」

「……たしかに、そうかもしれませんね」

「しかも、教育業界はそもそも“儲からない産業”です。金融、保険、不動産、それにITなどの業界に比べれば、スタッフの給与水準も決して高くない。夢や情熱で持っている業界なんです」

ヒデミは少し首をかしげる。

「でも、食品とか車とかゲームとか……そういう業界なら、ヒット商品が出れば一気に儲かって、社員のボーナスや昇給に反映されるんじゃないですか?」

Wのアバターが、またゆっくりと頷いた。

「そうですね。メーカーやコンテンツ産業は“当たれば大きい”。社員も“頑張っただけリターンがある”と感じやすい構造です。ですが、塾や予備校は違う。生徒数のキャパはおおよそ決まっている。合格者が増えても、すぐにスタッフの給与やボーナスが跳ね上がることはまずありません」

「じゃあ、どんなに頑張っても……」

「ええ、給料が倍増する、なんてことはない。だから、“ここまででいいや”、“これ以上やっても給料は変わらないし”と割り切って、やっつけ仕事になるスタッフも中にはいるんです。いや、生まれやすい構造なんです」

ヒデミは思わず息をのんだ。

「……そんな現場に子どもを通わせたら?」

「もちろん、好きな教師が見つかれば、それでも伸びる生徒はいます。教師との相性や本人の努力で学力を伸ばすケースはありますから。ただ――これから新しく塾を選ぶのであれば、できればそういうスタッフばかりの現場は避けたいですよね」

「……ですよね。パンフレットには“カリキュラム”や“合格率”ばかり書いてありますけど……」

「もちろんカリキュラムや講師の質も大事です。でも、もっと大切なのは、通う場所の“空気”です。辛いときに、受付や事務のスタッフがさりげなく支えてくれるか。そういう部分で“続けられるかどうか”が決まります」

「なるほど……。勉強以前に、“日々の環境”が勝負なんですね」

「はい。だから見学のときは、パンフレットの文字ではなく、スタッフの日常の態度や空気感を見てください。やりがいで動いている人が多い現場は、ちょっとした仕草にも違いが表れます」

ヒデミは画面のフクロウを見つめた。

「それで少しつながりました。見学の申し込みの電話をした時に、声のトーンが陰気というか、やる気がなさそうな応対のところがありました。それから見学に行ったときの対応が、なんだか面倒な客が来たとため息まじりに案内するところもありました。そういうことだったんですね」

そして、しばらく黙ってから、ヒデミは言った。

「……結局、“人”なんですね。カリキュラムでも看板講師でもなく」

「その通りです。最後は娘さんと一緒に見学に行き、“この人たちなら見てくれる”と感じられるかどうか。それが一番の指標です」

Zoomの画面で、Wのアバターが静かに頷いた。

Zoomの通話が終了し、画面が真っ黒になったあと——
和波知良(わなみかずよし)は肩を軽く回し、凝り固まった首筋に手を当てた。

話しすぎた喉の渇きが、ようやく自分に戻ってきたことを知らせていた。
つい話しすぎてしまった自分を苦笑いしながら、そっと机の端に置いてあった最中(もなか)の包みを開ける。

皮の香ばしさとあんこのやわらかな甘みが、言葉を重ねた喉をゆるやかに潤してくれる。

小さな音を立てて紅茶を一口すすりながら、彼は静かに目を閉じた。

教育も、不動産も、歴史も、すべては「人」と「数字」と「場所」に宿る。

そしてまたひとつ、迷える誰かの背中を押せたことに、ささやかな満足感を覚えていた。

第25話へつづく