第26話:不安が趣味なのかもしれない(後編)

「不安が習慣、ですか……」

画面の向こうで、大学生の青年はつぶやいた。

Wのフクロウアバターは、変わらずゆっくりと揺れている。

「不安って、すごくやっかいですよね。でもね、無理に“なくそう”とすると、かえって暴れ出すんです。不安って、“なくなったとき”が、一番こわい」

「……なくなったとき、ですか?」

「ええ。たとえば、“明日大地震が来る”って動画を見て、その日が何事もなく終わったとします。すると、あなたの心は次の“不安の種”を探し始めるんです。次の月、次の予言、あるいは“本当は遅れて来るんじゃないか”という新しいシナリオを、あなたの脳が自動生成してしまう」

彼は苦笑いを浮かべた。

「……めっちゃわかります、それ」

「つまり、あなたの心の中では“不安”が“日常”になっているんですよ。“不安があると、安心する”。逆説的だけど、そういう心の状態です」

Wは続ける。

「不安に支配されているのではなく、不安によって“バランスを保っている”。だから、ゼロにはしなくていい」

「じゃあ、どうすれば……?」

「時間を決めて、不安と向き合うんです」

「……時間?」

「“1日30分、不安を思いっきり考える時間”を作る。それ以外の時間は、“いま自分がいる現実”に意識を戻す。たとえば、大学の課題だったり、バイトのことだったり。人間の意識って、焦点を当てた対象しか現実として認識できませんからね」

「……はあ」

「そして、“不安タイム”は、決して中途半端にしないこと。徹底的に不安になる。“東京湾直下型地震が起きたら、どこが沈むか”とか、“どこのコンビニで水を確保するか”とか、“どの段ボールが寝やすいか”とか。そこまで突き詰めると……」

「なんか、笑えてくるかもですね」

「そう、不安は極端に突き詰めると“滑稽さ”を帯びてきます。それは心の防衛本能のひとつなんです」

彼は少しだけ姿勢を正した。
Wはゆっくりと話を続ける。

「そもそも人間って、楽観的な生き物より、“ちょっとビビりな人間”のほうが生き残ってきたんです。洞窟に残って警戒してたやつが、ライオンに食べられずに済んだ。だからあなたが“不安に敏感”なのは、ある意味で進化の恩恵なんですよ」

「それ、慰めですか?」

「事実です。そして、その感性は“社会を守るセンサー”にもなります。不安を否定しないでください。ただ、不安と上手に付き合う技術を磨けばいいんです」

「技術……」

「不安は、“トイレの欲求”に似ています。我慢しすぎると体を壊すけど、出しすぎても困る。だから“適切な時間に、適切な場所で”出せばいい。つまり、不安のコントロール術を身につけること。これが現代人のサバイバルスキルです」

青年は、ふっと笑った。

「……なんか、安心しました。“不安に向いてる自分”を認めていいって言われた気がして」

「不安を持っているからこそ、人は備えることができる。備えがあるから、安心できる。そして、“不安の処理”に慣れているあなたは、いざというとき案外、冷静かもしれませんよ?」

「……ありがとうございます。なんか、自分をちょっとだけ好きになれそうです」

「それで十分です。明日も、“不安30分タイム”、忘れずにね」

「はい。ちゃんと、30分だけにしておきます」

画面が切れる。
Wのアバターはゆっくりと静止した。

ふぅ、と小さく息を吐いて、和波は姿勢を崩した。
わずかに乾いた喉と、頭の奥に残る熱気が、長い会話の余韻を告げていた。

デスクの横からコンビニの袋を取り出す。
中から現れたのは、あんバターサンド。

ひとくちかじると、甘さと塩気が混ざり合って広がり、自然と目が細くなる。
言葉で満たされていた時間が、ようやく静かな味覚に置き換えられていった。

そして、次の相談が、また始まろうとしていた。

第27話へつづく