第27話:お節介な性分

Zoomの接続が完了するまでの数秒が、やけに長く感じられた。

画面に現れたのは、いつも通りのフクロウのアバター──“W.Navi”。

ゆっくりとした揺れを繰り返すだけの簡素なアニメーション。だが、そこに確かに「誰か」がいる気配があった。

「……こんばんは。ハチノヘです」

現れたのは、五十代半ばの刑事、八戸幸樹(はちのへこうき)だった。

くたびれたスーツの肩を落とし、目の下には深いクマがのぞいている。
低く落ち着いた声だが、その奥に張りついた疲れを隠しきれていなかった。

「先生とは、これまで何度か……まあ、捜査で袋小路にはまったときなんかに、ヒントをいただいたことがありましたが」

少し苦笑いを浮かべる。

「こうして“自分のこと”を話すのは初めてかもしれません」

「どうぞ、ご自由にお話しください」

落ち着いた声が返る。張ってもいない、沈んでもいない。ただ静かに受け止めるような声音。

ハチノヘはひとつ息を吐き、言葉を探すように口を開いた。

「悩み……というより、胸に残っている“後味”みたいなもんです」

アバターは揺れているだけで何も言わない。その沈黙が、逆に促すようでもあった。

「昔、担当した少年がいましてね。暴力やら窃盗やらで補導した。このままじゃ駄目になると思ったから、ずっと気にかけてきたんです。出所してからも、仕事を世話したり、飯を奢ったり……正直、刑事の職務を超えてました」

言葉を切り、わずかに目を伏せる。

「その甲斐あってか、数年後には真面目に働くようになった。……それ自体は、本当に嬉しかったんです」

そこで、ハチノヘは小さく笑った。だがその笑みには影があった。

「けどある日、ぷっつりと連絡が途絶えた。振り返りもせず、こっちに背中を向けたまま……二度と会えなかった」

わずかな沈黙が流れる。

「……去っていく背中ってのは、効きますよ」

「“もういいです”とでも言いたげでね」

指先で机を軽く叩きながら、ハチノヘは苦く笑った。

「分かってるんです。俺のやってたことはお節介だって。あいつにとっちゃ、恩義じゃなくて重荷だったのかもしれない」

「ひょっとすると、ただの自己満足だったのかもしれませんね」

画面の向こうでフクロウが静かに揺れる。

「でも……放っとけなかったんです。そういう人間、世の中にたまにいるでしょう?」

「……いますね」

短い相槌が、妙に重く響いた。

ハチノヘはふっと肩を落とす。

「ただ……そういう人間にとって、“背中を見送る”ってのは一番こたえるんですよ」

フクロウのアバターは相変わらず、ただ揺れている。
それ以上は何も言わない。ただ受け止めるように沈黙を保つ。

ハチノヘは視線を伏せ、口を閉じた。

画面越しの静けさだけが、じんわりと二人の間に広がっていた。

ハチノヘの吐息が静かに部屋の空気に溶けていった。

フクロウのアバターはゆっくりと揺れている。

しばらく沈黙が続いたのち、和波知良(わなみかずよし)がぽつりと口を開いた。

「……お節介、ですか」

ハチノヘがわずかに眉を動かす。

「私も、そうでした。放っておけない。関わらずにはいられない。……そして、結局、背中を見送ることになった」

いつもなら短い相槌だけのワナミが、自ら語り出すのは珍しかった。

ハチノヘは黙って画面を見つめる。

刑事の眼差しが、今度は聞き役のそれに変わっていた。

ワナミの声は、淡々と、しかしどこか遠い記憶をなぞるように続く。

「かつて、教え子がいました。努力していたのに、望んだ大学には届かなかった。結果を告げられたあと、彼は私に背を向け、振り返らずに去っていきました」

ふと、古傷の疼きを指先でなぞる。
相手には見えない痛みを、ひとりだけで確かめるように。

「……その夜、私は動揺したまま街を歩き、車に撥ねられました。命は助かりましたが、足には今も古傷が残っています。遠出はできない。だから今も、こうして部屋の中で暮らしている」

ハチノヘは思わず息を呑む。

ワナミは、ほんの少しだけ声を低める。

「それでも、いまは思うんです。あの背中に私の影が映っていなくても、支えた時間は確かにあった。それが自己満足でもいい。……満足の“自己”に、救われることもあるのだと」

ハチノヘはゆっくりと頷き、かすかに笑った。

「……先生、俺は相談してるつもりだったんですがね。なんだか今日は、俺が聞き役になってる気がしますよ。捜査でヒントをもらってた頃とは、ずいぶん立場が逆になったな」

ワナミも、わずかに笑みを返す。

「そういう夜も、あるものです」

「……俺が相談してるつもりだったのに、気づけば先生の昔話を聞かされてる。妙な夜だな」

「そうですね。……普段はあまり話さないんですが、つい」

「“つい”、か」

「お節介な性分は、あなただけではないようですね」

二人の間に、どこか温かな沈黙が流れた。

ハチノヘは深く息を吐き、静かに告げる。

「少し、軽くなりました。……背中を見送るのも、悪くはないのかもしれんな」

Zoomが切れ、フクロウのアバターが静かにフェードアウトする。

ワナミの部屋。

カップを持ち上げるとき、わずかに足をかばう仕草。
紅茶を一口啜り、窓の外の街灯を見やる。

「……お節介も、悪くない、か」

湯気が静かに立ちのぼり、やがて夜の空気に溶けていった。

──了──