第8話からのつづき
──それは、なんでもない夜の、なんでもないファミレスだった。
ハルカは新宿駅西口の改札を出て、TOHOシネマズ方面とは反対側──
いわゆる「ビジネス街寄り」の静かな通りを歩いた。
少し歩いた場所にある、深夜まで営業しているチェーン系のファミレス。
そこが、島田タクミの「指定席」だった。
「あっち側は騒がしくて落ち着かん。俺は静かに話せるほうが好きなんよ」
──そう言って、彼は大きな体をソファ席に沈める。
ハルカの前には、サイフォン式のコーヒー。
島田の前には、ハンバーグセットと生ビール。
「……先生、飲むんですか?」
「たまにはな。夜の空き時間、こうやって外で飯食うのが息抜きよ」
そう言ってタクミは、ハンバーグにナイフを入れながら尋ねてきた。
「……お前さ、最近、ちょっと疲れてないか?」
「え?」
「なんか顔に出てる。ちょっと頑張りすぎてる顔。──人の顔見れば、だいたいわかるんよ」
図星だった。
受験勉強と、家のこと。
そして、自分の将来のこと。
それら全部が、日々の生活にじわりと沈んでいた。
「……はい。ちょっと、しんどいです」
「だろうな。──無理すんなよ。女の子は特に、心が疲れると体に来る」
そう言って島田は、ポケットから名刺を取り出し、その裏にペンを走らせた。
「もし、ほんとにしんどくなったら──これ使え」
名刺の裏に、番号が書かれていた。
固定電話ではない、携帯の番号。
「これ、塾のじゃなくて、俺の個人携帯。夜でも構わん。困ったら連絡しろ」
「……ありがとうございます」
「遠慮すんな。“塾長”ってのは、勉強見るだけが仕事じゃない。──お前らの“心の後見人”なんよ」
──心の、後見人?
どこか胡散臭いけど、でもどこか信じたくなる。
そんな言葉だった。
名刺を受け取りながら、ふと、ハルカは思った。
(この人のこと、私は……信じていいのかな)
家庭に父親という存在がいなかったぶん、その「重み」を知らなかった。
だからこそ、こうして──
目の前の“大きな存在”に、少しずつ、重ね始めていた。
けれど。
ファミレスを出たあと、タクミの手が、そっと肩に触れた。
「なあ、ハルカ」
「……はい」
「俺がもう少し若かったらなぁ。いや、まあ、これは冗談だけどな」
ハルカは、笑わなかった。
──冗談にしては、空気が重すぎた。
「……じゃあ、また」
そう言って別れたあと、財布の中の名刺を見つめる。
さっきまで、その紙に、少しだけ“安心”を感じていた。
けれど今は──
名刺が、ほんの少しだけ重くなった気がした。
第10話へつづく