第13話:少し役に立てた気がした

第12話からのつづき

「ねぇ、あの子、泣いてるよ」

新宿東宝ビルの横──トー横通りの隅っこで、膝を抱えてうずくまる女の子。

年齢はハルカより下か、同じくらいか。
髪の毛はボサボサで、コンビニ袋を抱えていた。

「どうしたの?」

声をかけると、少女はビクッとして顔を上げた。

涙でアイラインが滲んでいる。
マスクの下から、すすり泣く音が聞こえた。

「……家、帰りたくない」

「うん、わかる」

その言葉は、思ったよりも自然に口から出た。

ハルカは、自分のコンビニおでんを差し出した。

「食べる?」

ちくわぶが、少し柔らかくなりすぎていたけれど──少女は、黙って頷いた。

それが、ハルカが“役に立った”と最初に思った瞬間だった。

トー横に通う日々は、予想よりも早く「日常」になっていった。
・朝は適当に起きて
・お金があれば、カフェかマック
・なければ、ベンチかネットカフェで時間を潰し
・夕方になると、東宝ビルの裏に向かう

──そして、深夜。

「帰るとこあるの?」

「うん、まぁ、一応」

そんな会話を交わすうちに、ハルカは“トー横のお姉ちゃん”みたいなポジションを得ていった。

「え、ハルカって、何歳だっけ? 高3?」

「卒業した。てか、浪人中。ぜんぜん勉強してないけど」

「マジか。あたしなんか高校中退。」

──不思議だった。

底辺のはずなのに、ここでは「落ちた」ことが、なぜか自慢のように聞こえた。

誰も何も持っていないからこそ、失敗が経験に変わる。

夜の公園で、ヒッピー風なファッションをした男たちがギターを弾いていた。

「ハルカちゃん、歌詞とか書けない?」

「歌詞?」

「そう。うちらでTikTokにあげようって話しててさ」

──そう言って見せられた動画は、明らかに著作権ギリギリのパクリだったけれど、
ハルカはなぜか、ワクワクしていた。

「じゃあ、書いてみるよ。テーマは?」

「えーっと、“助けてほしいけど、誰にも言えない夜”みたいなやつ!」

そのとき、なぜか──
塾長・シマダの声が、ふっと頭に蘇った。

「お前は、髪、黒いままの方が似合う」

──あの人は、今ごろ何してんだろう。

スマホのメモ帳に、指を走らせる。

太宰じゃない。国語の問題文でもない。
自分だけの言葉を、自分の手で、初めて“つくった”。

翌日、動画はアップされた。

“深夜に泣きたくなるやつ”というタグがついて、再生回数は200回ほどだった。

けれど、その下のコメント欄に、ひとつだけ書き込みがあった。

『なんかわかる。ありがと』

その一言が、ハルカの中の何かを強く揺らした。

──あたしでも、誰かの「何か」になれるのかもしれない。

それは、ほんの小さな希望。

だけど、それは“希望”と呼べる唯一のものだった。

「ハルカちゃん、次、動画出そうよ!」

「うーん……顔は出したくないな」

「でも声キレイじゃん? 喋るだけでもいいから!」

トー横での“姉ちゃんキャラ”が、いつしか“コンテンツ”になっていく。

この日、ハルカは少し高めのカフェに入った。
誰かがくれたクオカードで、アイスティーを頼む。

「……ちょっとだけ、役に立てた気がした」

口に出したその言葉に、自分でびっくりした。

──そうか。“お礼奉公”って、こういう気持ちなのかもしれない。

けれど同時に、この場所から抜け出す「きっかけ」も、「方向」も、まだ見えてはいなかった。

第14話へつづく