第12話からのつづき
「ねぇ、あの子、泣いてるよ」
新宿東宝ビルの横──トー横通りの隅っこで、膝を抱えてうずくまる女の子。
年齢はハルカより下か、同じくらいか。
髪の毛はボサボサで、コンビニ袋を抱えていた。
「どうしたの?」
声をかけると、少女はビクッとして顔を上げた。
涙でアイラインが滲んでいる。
マスクの下から、すすり泣く音が聞こえた。
「……家、帰りたくない」
「うん、わかる」
その言葉は、思ったよりも自然に口から出た。
ハルカは、自分のコンビニおでんを差し出した。
「食べる?」
ちくわぶが、少し柔らかくなりすぎていたけれど──少女は、黙って頷いた。
それが、ハルカが“役に立った”と最初に思った瞬間だった。
トー横に通う日々は、予想よりも早く「日常」になっていった。
・朝は適当に起きて
・お金があれば、カフェかマック
・なければ、ベンチかネットカフェで時間を潰し
・夕方になると、東宝ビルの裏に向かう
──そして、深夜。
「帰るとこあるの?」
「うん、まぁ、一応」
そんな会話を交わすうちに、ハルカは“トー横のお姉ちゃん”みたいなポジションを得ていった。
「え、ハルカって、何歳だっけ? 高3?」
「卒業した。てか、浪人中。ぜんぜん勉強してないけど」
「マジか。あたしなんか高校中退。」
──不思議だった。
底辺のはずなのに、ここでは「落ちた」ことが、なぜか自慢のように聞こえた。
誰も何も持っていないからこそ、失敗が経験に変わる。
夜の公園で、ヒッピー風なファッションをした男たちがギターを弾いていた。
「ハルカちゃん、歌詞とか書けない?」
「歌詞?」
「そう。うちらでTikTokにあげようって話しててさ」
──そう言って見せられた動画は、明らかに著作権ギリギリのパクリだったけれど、
ハルカはなぜか、ワクワクしていた。
「じゃあ、書いてみるよ。テーマは?」
「えーっと、“助けてほしいけど、誰にも言えない夜”みたいなやつ!」
そのとき、なぜか──
塾長・シマダの声が、ふっと頭に蘇った。
「お前は、髪、黒いままの方が似合う」
──あの人は、今ごろ何してんだろう。
スマホのメモ帳に、指を走らせる。
太宰じゃない。国語の問題文でもない。
自分だけの言葉を、自分の手で、初めて“つくった”。
翌日、動画はアップされた。
“深夜に泣きたくなるやつ”というタグがついて、再生回数は200回ほどだった。
けれど、その下のコメント欄に、ひとつだけ書き込みがあった。
『なんかわかる。ありがと』
その一言が、ハルカの中の何かを強く揺らした。
──あたしでも、誰かの「何か」になれるのかもしれない。
それは、ほんの小さな希望。
だけど、それは“希望”と呼べる唯一のものだった。
「ハルカちゃん、次、動画出そうよ!」
「うーん……顔は出したくないな」
「でも声キレイじゃん? 喋るだけでもいいから!」
トー横での“姉ちゃんキャラ”が、いつしか“コンテンツ”になっていく。
この日、ハルカは少し高めのカフェに入った。
誰かがくれたクオカードで、アイスティーを頼む。
「……ちょっとだけ、役に立てた気がした」
口に出したその言葉に、自分でびっくりした。
──そうか。“お礼奉公”って、こういう気持ちなのかもしれない。
けれど同時に、この場所から抜け出す「きっかけ」も、「方向」も、まだ見えてはいなかった。
第14話へつづく