第13話からのつづき
「──ねぇ、それ、ハルカちゃんが書いたの?」
東宝ビルの横、タバコの匂いが混じる風のなか。
ひとりの女の子が、スマホの画面を見せながら声をかけてきた。
そこには、トー横仲間が歌った動画のコメント欄。
「ハルカって、あんたのこと?」
「……うん。まあ、そうだけど」
「やっぱ、すげーわ。文章、めちゃ響いたもん。うち、親とケンカして出てきたけど、マジ泣いた」
──泣いた。
その言葉が、胸に残った。
誰かの涙に触れた実感が、自分の「役割」みたいに思えた。
動画がぽつぽつと伸び始めたのは、それからのことだった。
最初は歌詞提供だけだったのが、「ハルカの声、落ち着く」と言われて、一人喋りの“深夜トーク”を投稿するようになった。
──撮影は、スマホひとつ。
編集アプリも無料のやつで、BGMは著作権フリーのピアノ音。
けれど、数百、数千という再生がつきはじめた。
「親が、朝ごはんのときテレビばっか見てて、こっちの話聞かないんだよね」
「“男に騙されたくない”って思ってたけど、もう何が騙しなのかもわかんない」
そんな話を、ぽつりぽつりと話す。
最初は照れくさかったけど、誰もいないネットの向こうに「聞いてる誰か」がいると思うと、だんだん自然に言葉が出るようになった。
「……ハルカちゃん、ちょっといい?」
ある日、トー横の隅で動画を撮っていたとき、自分よりも少し年上の女性が声をかけてきた。
「ごめんね、いきなり。あのさ──私、デザイン系の仕事してて」
「え?」
「ロゴとか作れたらって思って。タダでいい。応援したくて」
それが、初めての「ファン」との出会いだった。
その女性は、以前トー横で過ごしていたことがあるという。
今は抜けて、自分の仕事を持っているらしい。
「ハルカちゃんの声、わたし、当時聞きたかったなって思ったの」
──誰かに、そう言われたのは、初めてだった。
再生回数が1万を超えた動画が出た。
「深夜ラジオ風に語る:親に期待されない子の話」
中学時代の話をした。
団地の五階、母の背中、太宰の文庫本。
再生数だけじゃない。
コメントが、あたたかかった。
「うちも同じだった。ありがとう」
「泣いた。救われた」
「生きてていいんだって思えた」
──救った、とは思わない。
でも、寄り添えたのかもしれない。
トー横の雑音が、少しだけ静かに感じられた夜。
ハルカは、スマホを握りしめて、こうつぶやいた。
「……もう一回、ちゃんと生きてみようかな」
その言葉が、心のどこかでカチリと音を立てて「鍵」を回した。
再生ボタンを、初めて自分の人生に押したような感覚だった。
翌日。
トー横の仲間に言った。
「ねえ、あたし、ちょっとだけ距離おくね。でも週一で顔は出すからさ」
「どうしたの? 急に」
「……動画、本気でやってみたくなった」
「マジか。応援するわ。今のうちにサインちょうだいよ」
「出さねーよ、そんなもん」
笑いながら、ハルカは手を振った。
──夜の街を背に歩く背中は、少しだけ、凛としていた。
第15話へつづく