第19話:証言の朝

第18話からのつづき

約束の場所は、新宿御苑近くの喫茶店だった。

駅から5分ほど歩いた場所にある、どこか場末感のある昭和風の店。
カウンターの奥からは、八神純子や杉山清貴の、どこか懐かしい80年代のヒット歌謡が流れていた。

──「恋は焦らず」なんて、誰が言い出したんだろう。

ハルカは、ミルク多めのカフェオレを頼んだ。
熱すぎない、それがちょうど良かった。

向かいに座っているのは、『週刊文潮』の記者・ヤナギ。

初老の、妙に覇気の抜けた男。
だが、その目だけは笑っていなかった。

「……で、その名刺をもらったの、ついこの間、トー横のあたりで?」

「ええ。私の方から声をかけて……」

「君のこと、覚えてた?」

ハルカは一度だけ瞬きをしてから、静かに首を振った。

「まったく、です。 “女子”としてしか、見られてませんでした」

ヤナギは小さくうなずき、手元のメモ帳をめくる。

「でも、翌朝……?」

「私が、“覚えてませんか?”って声をかけたら──とても驚いていました」

ハルカの声は、抑揚がなかった。

でも、そのぶん“熱”のようなものが、言葉の内側に潜んでいた。

「……君にとって、その夜って、どうだった?」

ハルカは、少しだけ視線を落とし、そして言った。

「“傷ついた”とも思いました。でも……“あ、やっぱりこういう人だったんだな”って。なんだか、“底”を見た気がして──」

ヤナギはゆっくりとカップを傾け、少しだけコーヒーをすすった。

「復讐するつもりで、動画を?」

「いいえ。ただ、記録したかっただけです。あの人が何を言ったかを」

その言葉のひとつが、「お前は、黒髪のほうが似合うぞ」であり、もうひとつが、「“わかる”じゃなくて“はい”って言いな。受験の世界は、素直なやつが伸びるから」だった。

「……記録ね」

ヤナギは薄く笑った。

「でもな、それが一番効くんだよ。暴力や怒鳴りより、記録と証拠。令和は、そういう時代だ」

ハルカは、かすかに笑った。

「だったら、書いてください。彼が何を言ったか──」

「任せな!」

ヤナギはそれだけ言って、立ち上がった。

会計を済ませ、ハルカに軽く頭を下げて、喫茶店のドアをくぐって出ていった。

──数日後。

『週刊現実』の特集が、SNSを騒がせた。
【特集】
“おでん名誉総長”再炎上!
元教え子が沈黙を破る──

SNSのトレンドには再び、「#おでん総長」「#黒髪が似合う」などの言葉が並ぶ。

元教え子たちによる投稿も増えた。

「私も言われた、“お前は素直だな”って」

「“人生教えてる”って言ってたけど、あれ演技だったのかも」

「“一番伸びる”って言われたのに、何も伸びなかったな(苦笑)」

中には、
「……あの人、私は嫌いじゃなかった」

「でも、たぶん、最初から“そういう人”だったんだよね」

と、どこか複雑な思いを滲ませる声もあった。

「メディカルデラックス」は、名誉総長・島田巧の解任と、全面的な謝罪を表明した。

ハルカは、トー横近くのベンチに座っていた。

風は少し冷たくなり始めていたが、缶のホットミルクティーを開けると、まだほんのり温かかった。

──もう戻ることはない。

でも、今なら思える。

「沈黙は、破った。でも、人生は、これから」

その言葉を心の中でそっと繰り返して、ハルカは缶の口を静かに傾けた。

最終話へつづく