──田所ユウト。
その名を聞いて、何かを思い浮かべる人間は、当時のカンゾウ(関東学力増進機構)にはひとりもいなかった。
成績は中の下。 授業には出ているが、質問はしない。
真面目でも、不真面目でもない。 いるようで、いない──そんな生徒。
好きなものは、ゲーム。
将来の夢は、「できればゲームをつくる仕事」──ただし、大学にはあまり行きたくない。
「どうせ、専門学校でいいでしょ」と本人は言っていた。
だが、母親は違った。
「せめて大学は出てほしいんです」
「このままじゃ、ほんとに一生ゲーム漬けで……」
三者面談では、目の下にクマを作った母親が、そんなふうに言った。
──そして、塾長室。
島田タクミは、旧型のWindows Vistaパソコンを前に、タバコをくわえていた。
モニターには、時代遅れのクソゲー。
「クソッ……また負けた……!」
彼は悪態をつきながら、カチカチとマウスを叩く。
「このゲーム作ったやつ、許せん……! プログラマーのクソ野郎……!」
ちょうどそこへ、田所ユウトがやってきた。
母親になんとか説得してくれと頼まれたタクミはユウトを呼び出したのだ。
塾長室に入るなり、タクミはイライラをぶつけるように赤ペンをくるくる回した。
「お前さ、ゲームが好きなんだって?」
「……まあ」
「で、ゲーム作りたいって言ってるらしいな。で、数学の偏差値、42」
ユウトの顔が引きつった。
「言っとくけどな、今のままだと、このクソゲー作ったやつ以下だぞ。だいたいな、専門卒のプログラマーなんざ、下請けブラック企業に三年で使い潰されて終わりだ」
「……。」
「専門学校行っても、就職先は下請けの下請けだ。納期地獄、バグ地獄、休日出勤地獄だ。好きなゲームの“ゲ”の字も触れねえぞ」
「……でも、俺、理数苦手だし……」
「なら、文系でいい」
ユウトは顔を上げた。
「え?」
「お前、国語の点数、悪くねえ。世界史も得意だろ。なら文学部だ。」
「は?」
「いいか、ゲームはストーリーだ。背景だ。世界観だ。そっちを作るほうが花形だ。数学できないなら、できないなりの戦い方をしろ」
──あまりにも唐突で、あまりにもテキトーな提案だった。
しかし、言葉には妙な説得力があった。
「専門卒の下請けプログラマーになって、俺みたいにクソゲーに八つ当たりされたいか? お前は下請けのパーツで終わりたいのか? ストーリーの神になりたくないのか?」
──スイッチが入ったのは、その瞬間だった。
ユウトは、「文学部志望」に進路を変更した。
いわゆる「文転」というやつだ。
それからは猛勉強。
数学以外の科目の勉強は苦にならなかった。
そして年明け。
偏差値的に合格圏の大学を受験し、無事合格。
大学へは最初はイヤイヤ通っていたが、大学で出会ったゼミの先生の影響で、 やがて古代史にのめり込む。
「縄文や弥生って、ゲームの舞台にすると面白いかもな……」
そうつぶやいたユウトは、大学3年のときに、とあるゲームの企画コンテストで入賞。
卒業後、大手ゲームメーカーに正社員として採用され──
5年後、彼が開発した『YAYOI WAR 〜鉄剣の記憶〜』は、予想外の大ヒットとなった。
「マイナー時代×重厚なストーリー」という新境地。
ゲーム業界に、新たなジャンルを切り拓いたと評される。
一方、カンゾーの塾長室。
島田タクミは、牛すじとタコをつまみながら、どこか誇らしげに言った。
「ほらな、オレの言った通りだ。あいつは、人生で当たりを引いたのよ。ちくわぶなんて齧ってたら、ずっと鍋の底だ。牛すじをありがたがるやつが、人生を噛み切るんだ」
島田タクミは忘れていた。
彼の成功のきっかけは── Vistaパソコンで負けまくった、ただの八つ当たりだったということを。
こうして、カンゾーの塾長室は──
今日もまた、“いい加減な奇跡”を生み出していた。
第2話へつづく