第1話からのつづき
──数日前、中野の安キャバにて。
「将来は絵の道に進みたいんです」
島田タクミの好みド真ん中、陰のある美大生キャバ嬢が、そう言った。
島田は、その夜、めずらしくマジメに口説いた。
だが──
「おじさん、無理。生理的に無理」
乾いた声と共に、一刀両断。
島田タクミ、完敗だった。
──その翌日、塾長室。
島田タクミは、くしゃくしゃの顔で旧型PC(OSはウインドウズVista)をいじっていた。
「なにが美大生じゃ、なーにが絵の道じゃ!」
タバコをふかしながら、時代遅れの無料ゲームに夢中だが、調子が悪く、負け続き。
「クソッ……このクソゲー作ったやつ、許さん……!!」
Enterキーをバンバン叩きながら、タクミはイラついていた。
そのとき──ノックの音。
「失礼します、鈴木マナです、進路のことでちょっと相談が…」
髪は明るい茶色、服は古着系レイヤースタイル。 目つきには迷いがない。
「ほぉ、美大志望か?」
「はい。武蔵美が第一志望です」
俺をフッたキャバ嬢と、どこか似ている。
(……イラつくぜ)
タバコを揉み消しながら、タクミは低い声で言った。
「絵で食えると思ってんのか?」
「……え?」
模試の結果をめくる。数学38点、英語42点。
(まあ、無理だな…)
「なぁ、マナちゃん。ヒポクラテスって知ってるか?」
「え?」
「医学の祖。彼は言った。“人生は短く、芸術は長し”──だが、現実はこうだ」
タクミは、机の上の器から、ちくわぶを持ち上げた。
「人生はちくわぶ、芸術は辛子だ」
マナはきょとんとする。
「ちくわぶ……?」
「そう。見た目は地味、味も主張しねぇ。でも腹が膨れる。生きるために必要だ。だが、辛子は違う。なくても困らねぇ」
マナの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「美大はな、才能と財力がすべてだ。スケッチと水彩で食えるやつは、ほんの一握り。──で、そんな連中に、年中マウント取られるぞ」
「……でも、じゃあ、私、何を……」
「薬学部だ」
「ええっ?」
「薬剤師免許。女にとっちゃ最強カードだ。産休? 育児? 余裕だ。復帰も楽勝だ。バイトだって高時給だ。国家資格ってのは、“ちくわぶ”みたいなもんだ。地味だが、確実に生きられる」
マナは震えた声で言った。
「……私、絵を描くの、好きなんです……」
島田はふっと笑った。
「好きなら、家で描いてろ!」
「……え?」
「仕事にすんのと、好きでやるのは違う。”できること”を磨いたやつが、最後に”やりたいこと”を好きなだけやれるんだよ」
沈黙。
マナは、じっと手元を見つめた。
やがて、かすかに笑った。
「……塾長、ちくわぶって、本当にそんなに大事なんですか?」
タクミは、箸でふるふると揺れるちくわぶを割りながら答えた。
「オレは牛すじ派だが、たまには……悪くねぇ。誰かの腹を満たせるって意味じゃな」
「……なんか、かっこいいですね」
「録音するなよ。著作権料、ふっかけるぞ」
──そして、鈴木マナは進路を変えた。
最初はイヤイヤだった。
だが、苦手だと思っいこんでいた化学や数学も、カンゾウでアルバイトをする医学部生のチューターたちの分かりやすく熱心な指導で、次第に好きになり、みるみる成績を伸ばしていった。
そして──地方の国立大学の薬学部に合格。
薬草の歴史、分子設計、漢方と西洋医学の交差──。
それは、彼女の中に眠っていた「構成欲」をくすぐった。
薬学の世界を知るうちに、知らず知らずのうちにのめり込んでいった。
卒業後は、大学病院の薬剤師になった。
自作のイラスト入りラベルで患者に薬を説明する姿が、病棟でちょっとした話題になっている。
──そんなマナが、今でも思い出し苦笑するのは。
タバコ臭い塾長室で、「人生はちくわぶだ」と力説していた、あのダサくて、でも妙に説得力のある、島田タクミの姿だった。
第3話へつづく