第2話:鈴木マナの現実

第1話からのつづき

──数日前、中野の安キャバにて。

「将来は絵の道に進みたいんです」

島田タクミの好みド真ん中、陰のある美大生キャバ嬢が、そう言った。

島田は、その夜、めずらしくマジメに口説いた。

だが──

「おじさん、無理。生理的に無理」

乾いた声と共に、一刀両断。

島田タクミ、完敗だった。
 
──その翌日、塾長室。

島田タクミは、くしゃくしゃの顔で旧型PC(OSはウインドウズVista)をいじっていた。

「なにが美大生じゃ、なーにが絵の道じゃ!」

タバコをふかしながら、時代遅れの無料ゲームに夢中だが、調子が悪く、負け続き。

「クソッ……このクソゲー作ったやつ、許さん……!!」

Enterキーをバンバン叩きながら、タクミはイラついていた。

そのとき──ノックの音。

「失礼します、鈴木マナです、進路のことでちょっと相談が…」

髪は明るい茶色、服は古着系レイヤースタイル。 目つきには迷いがない。

「ほぉ、美大志望か?」

「はい。武蔵美が第一志望です」

俺をフッたキャバ嬢と、どこか似ている。

(……イラつくぜ)

タバコを揉み消しながら、タクミは低い声で言った。

「絵で食えると思ってんのか?」

「……え?」

模試の結果をめくる。数学38点、英語42点。

(まあ、無理だな…)

「なぁ、マナちゃん。ヒポクラテスって知ってるか?」

「え?」

「医学の祖。彼は言った。“人生は短く、芸術は長し”──だが、現実はこうだ」

タクミは、机の上の器から、ちくわぶを持ち上げた。

「人生はちくわぶ、芸術は辛子だ」

マナはきょとんとする。

「ちくわぶ……?」

「そう。見た目は地味、味も主張しねぇ。でも腹が膨れる。生きるために必要だ。だが、辛子は違う。なくても困らねぇ」

マナの顔から、少しずつ血の気が引いていく。

「美大はな、才能と財力がすべてだ。スケッチと水彩で食えるやつは、ほんの一握り。──で、そんな連中に、年中マウント取られるぞ」

「……でも、じゃあ、私、何を……」

「薬学部だ」

「ええっ?」

「薬剤師免許。女にとっちゃ最強カードだ。産休? 育児? 余裕だ。復帰も楽勝だ。バイトだって高時給だ。国家資格ってのは、“ちくわぶ”みたいなもんだ。地味だが、確実に生きられる」

マナは震えた声で言った。

「……私、絵を描くの、好きなんです……」

島田はふっと笑った。

「好きなら、家で描いてろ!」

「……え?」

「仕事にすんのと、好きでやるのは違う。”できること”を磨いたやつが、最後に”やりたいこと”を好きなだけやれるんだよ」

沈黙。

マナは、じっと手元を見つめた。

やがて、かすかに笑った。

「……塾長、ちくわぶって、本当にそんなに大事なんですか?」

タクミは、箸でふるふると揺れるちくわぶを割りながら答えた。

「オレは牛すじ派だが、たまには……悪くねぇ。誰かの腹を満たせるって意味じゃな」

「……なんか、かっこいいですね」

「録音するなよ。著作権料、ふっかけるぞ」

──そして、鈴木マナは進路を変えた。

最初はイヤイヤだった。

だが、苦手だと思っいこんでいた化学や数学も、カンゾウでアルバイトをする医学部生のチューターたちの分かりやすく熱心な指導で、次第に好きになり、みるみる成績を伸ばしていった。

そして──地方の国立大学の薬学部に合格。

薬草の歴史、分子設計、漢方と西洋医学の交差──。

それは、彼女の中に眠っていた「構成欲」をくすぐった。
薬学の世界を知るうちに、知らず知らずのうちにのめり込んでいった。

卒業後は、大学病院の薬剤師になった。
自作のイラスト入りラベルで患者に薬を説明する姿が、病棟でちょっとした話題になっている。
 
──そんなマナが、今でも思い出し苦笑するのは。

タバコ臭い塾長室で、「人生はちくわぶだ」と力説していた、あのダサくて、でも妙に説得力のある、島田タクミの姿だった。

第3話へつづく