第2話:演じすぎた男

今回は、舞台から転げ落ちた英語講師のエピソード。

「塾長……ちょっと……あの人、本気でどうにかしないと……」

島田巧(しまだたくみ)が鎮座する塾長室にやってきた東山(ひがしやま)が声をひそめた。

「誰のことや?」

「シノヤマです……英語の新任講師。授業、完全に芝居なんですよ……もう、ほんとの“芝居”」

「ほぉん」

「今日の例文、“There is a pen on the desk.”で……なんと、3分間の一人芝居ですよ?」

「ほう」

「机に向かってひざまずいて、ペンを両手で捧げ持って、“これが……運命の‘pen’……”って。教室、完全に沈黙。いや、笑っちゃいけないのに、もう堪えきれなくて……生徒、顔伏せて震えてましたからね」

ヒガシヤマは演技の一部を真似てみせる。
部屋の空気がどこか捩れてくる。

「女子生徒からは“あの先生ちょっとキモい”とか“笑っちゃって授業入ってこない”って声が出てて……保護者からもクレームきてます。“授業中に演技をしてるって本当ですか”って……」

「……はは。ええやんか。芝居は心を揺らす芸術や」

現場の困惑とは裏腹に、タクミは上機嫌でうなずく。

「でも、ですよ……“僕は、魂で英語を教えたい”とか言って、授業のたびに変な演出つけてくるんですよ。拍手を要求したり、“この例文には哀しみがある。わかるか?”とか」

ヒガシヤマが絶望的な顔をする。

「あの、塾長。ここ、予備校ですよ……」

タクミは肩をすくめた。

「ヒガシヤマ、お前な……予備校の講師なんて、しょせん“教育芸人”やぞ」

「……え?」

「大手予備校にはヤーさんの格好してた講師もおったやろ、ヤンキーみたいなやつもおる、占い師みたいな格好のやつも人気あるやろ? 理由は同じや。授業の内容がつまらんでも、笑いとったら勝ちや。生徒が“あの先生の授業、行きたいわ”って思う、それが一番大事なんや」

「でも成績は……」

「アホやな。成績なんて最終的には一人で勉強して伸ばすもんや。週に90分やそこら出たくらいで爆伸びするわけないやろ。せやけど“あの先生がやれって言ったからやるで”って思わせる、勉強のきっかけ作れるだけでも十分や。おもろい授業、笑える授業はそのスイッチや」

「……」

「逆に言うたらやな、そのきっかけすら作れん屁理屈講師が多いんや、このニッポン国は。シノヤマは芝居やってでも生徒の心を揺らす。それでええやないか」

ヒガシヤマは頭を抱えた。

「ええやん。おもろいやん。英語なんて退屈やからな、笑いとったら勝ちや。講師が印象に残る、それがブランドや。魂、情熱。教育に必要なんはそこや」

(うわ、聞く気ない……)

その英語講師、篠山貴臣(しのやまたかおみ)。
年齢37歳。
大学在学中から劇団に所属。
以来、約20年、小劇場を拠点に活動。

オーディション歴は100回を超えたが、合格はわずか数回。
もっとも大きな出演歴は、NHKの歴史再現ドラマ『春日局の生涯』に登場する斉藤家の護衛侍「その3」。暴漢の襲撃にあい、春日局(当時は“おふく”)をかばって斬られる役で、唯一のセリフは、「お、おのれ……おふく様……お逃げくだ……」その直後に斬殺。
ギャラはロケ弁のみだった。

安定した収入を得るため、かつて演劇仲間が通っていたという「カンゾウ」で英語講師に。だが、授業中の演技癖は抜けることがなかった。

そして数日後──。

タクミは、得意のキャバクラ「Le Rêve」にシノヤマを連れて来ていた。

「おう、シノヤマ。魂の英語、やってみぃや」

「かしこまりました!」

くるりと背を向けて芝居の導入に入る。

タクミお気に入りのキャストのマイや他の嬢たちが見つめる中──

「There is a pen……on the desk!」

ひざまずき、テーブルに飾られていたボールペンを両手で掲げる。

「これが……運命の“pen”……!」

「え、何コレ。ウケるんだけど〜!」

「ちょ、めっちゃ本気なんだけど!」

キャバ嬢たちは爆笑。タクミも満足げに頷く。

「これやこれや!オレの目は正しかった!シノヤマ、お前は“武器”持っとる!」

しかし──

「先生〜、なんか他のもやって〜!」

「では、“Let it go”のワンフレーズを……」

「ええっ、あの歌?まじでやるの?」

「行きます!」

──その時だった。

タクミがちらりと見た。マイの顔がひきつっている。
明らかに他のキャストとは違って、マイはドン引きしている。

「……もうええっちゅうねん!!!」

タクミはテーブル脇のアイスペールをつかみ、

「ええかげんにせい!」と叫んで、シノヤマの頭上で逆さにした。

ガラガラッ!!

氷がシノヤマの頭にどさっと落ち、冷水が首筋を伝う。

「ひぃぃぃっ!つめてぇぇぇ!」

さらに──アイスペールに刺さっていたトングとマドラーが、ひとつは頭の横にカチンと当たり、もうひとつは胸ポケットにスコンと突き刺さった。

「先生ぇぇ!これ漫才ですかぁ!」

嬢たちは大爆笑。

タクミは腕を組んで仁王立ち。

「なにさらしとんじゃワシのお気に入りに!空気読めやッ!!」

「ひぃぃぃぃ!!!」

シノヤマの声が店内に響き渡った。

そして、キャバクラ「Le Rêve」の一件から二日後。

カンゾウの講師控室にはシノヤマの姿はなかった。

「連絡? いや、何も来てないです……」

「家電も繋がりません」

「ついに辞めたんじゃないっすか?」

職員たちはひそひそと噂し合ったが、タクミはと言えば
「まあええやろ。あいつは“舞台”を間違えただけや」
と、まるで「天に還った星」でも悼むような口調で言い残し、今日もどこかへ出かけていった。

数週間後──
歌舞伎町・とあるキャバクラの裏口。

「すみません、シャンパンすぐにお持ちします!」

「カレンさん、次指名入りました〜!」

「そこの灰皿、すぐ替えますね!」

──軽やかな声と、やたらキビキビした動き。ボーイとしてテキパキ働く一人の男の姿。

黒のベスト、蝶ネクタイ。清潔感はあるが、どこか挙動のすべてが芝居がかっている。

嬢たちの間ではこう呼ばれていた。

「リアクション王子」

「えっ!?もう次の指名!?(くるりと180度回転)これは……運命っ!(拳を握る)」

なぜか、いちいち動作が舞台演出。
だが、そこが逆にウケているらしい。

新人嬢が失敗した時も──
「あなたが今日ここに立っているのは、“意味”がある!(力強く肩に手を置く)その涙は、輝くための“光”だ!」

まるで宝塚。

泣いてた嬢が笑った。

ゴンドウ龍太郎からタクミに報告がはいった。

「塾長、あのシノヤマって講師、歌舞伎町の『Le Rêve』の系列店でボーイやってまっせ」

「おぉ。あいつ、そっちの道に転生したんか」

「ええ。最初はやっぱり、芝居っぽい動作が気持ち悪がられてたらしいんすけど……最近は、“あれが逆に元気出る”って評判らしくて。女の子のフォローもうまくて、チーフ候補らしいですよ」

「ほぉ……向いてたんやな。最初から」

ゴンドウの報告を聞きながら、タクミはふっと鼻で笑った。

「役者はな、“舞台”を間違えたらただの変人や。けど、正しい舞台に立てば、拍手もらえるんやな」

「ええこと言いますなぁ塾長」

「けどな。オレは予備校っちゅう舞台で、たくさんのガキどもを相手に、今も主演張っとるわけや」

「間違いないです」

「まあ……シノヤマの場合は……」

タクミは口の端を吊り上げて言った。

「“退場”の仕方だけは、なかなか見事やったわ」

第3話へつづく