メディカルデラックス、通称「メディデラ」の一室──
“名誉総長”タクミのデスクには、分厚い紙束が無造作に置かれていた。
それは、講習申し込み用紙や進路調査票、生徒アンケート、さらには模試の結果票。
保護者の職業、世帯年収、住所、電話番号、メールアドレス──すべてが記載された個人情報の山。
タクミはその束を眺めながら、ニヤリと笑った。
「……金の匂いしかしねぇな」
その夜、スーツの内ポケットにUSBと封筒を詰め、タクミは街へ出た。
ゴンドウとの再会は、東中野の場末感ただよう喫茶店だった。
カップの底が透けるほど薄いコーヒーを啜りながら、ゴンドウは卑屈に笑った。
「名誉総長、お忙しいところ恐縮です〜」
「……おい、今なんて言った?」
「え? 名誉総長……?」
「よし、それでいい。“名誉総長”だぞ? ちゃんとそう呼べ。肩書きには価値があるんだ」
「は、はい。さすがです、名誉総長」
──かつての関係が、変わることはなかった。
「で、本題だがな……これ、200名分。医学部志望で、親が資産家。優良リストだ」
そう言って、タクミはUSBメモリを差し出す。
ゴンドウは、それを両手で受け取った。まるで仏具でも触るように丁寧に。
「お代は……?」
「1件1万円、200人で200万。いつもの口座に頼むぞ」
「もちろん。“機密保持”は徹底しますから」
教育ブローカー、そして名簿屋のゴンドウ──。
ケチでチンケだが、足も口も早い小悪党。
講師の引き抜き、生徒の“紹介”、個人情報の売買と、いくつもの塾や予備校を渡り歩き、あらゆる手口を使って稼ぐ男である。
数日後、タクミのスマホには通知が届く。
「振込完了:2,000,000円」
「……これで今月は安心だ」
安心とは、“遊ぶ金ができた”という意味である。
その足で彼は、歌舞伎町へと向かった。
この夜、タクミはいつにも増して豪快だった。
シャンパンを何本も空け、キャストに渡したのは──
割り箸に一万円札を挟んだ「プレミアムおでん」。
「ちくわです!熱いから気をつけてくださいね〜。こっちは大根!染みてますよ〜」
キャストたちは「ウケる〜!」と笑いながら受け取るが、心の中では(また始まったよ)とため息をついていた。
だが、タクミはそれを“爆笑の渦”と信じていた。
さらにお決まりの500円玉マジックまで披露し、
「これ、ケンブリッジでは“神の手”って呼ばれてたんです」
と胸を張る。
──裸の王様は、満面の笑みでグラスを空け続けた。
帰り際、酔った足取りで歌舞伎町を歩くタクミ。
そのとき、新宿東宝ビル(TOHOシネマズ新宿)近くの路地裏で、ひとりの若い女に声をかけられた。
「あの……、覚えてませんか?」
「え?」
見れば、どこか見覚えのある顔。
しかし名前までは思い出せない。
その女は、トーヨコキッズと呼ばれる若者たちの一人だった。
“トー横”とは、“東宝ビル横”の略。
居場所のない未成年や家庭に問題を抱える若者が集まる、ある意味、新宿の“闇の地域”である。
ホストクラブで散財したりなど金に困り、援助交際や危険なバイトに身を投じている子も多い。
いわば現代の「パンパン」。誰にも守られず、ただその場で生きている子たち。
「オレはこういう者だが、以前会ったことあったかな?」
タクミは名誉総長と書かれた名刺を彼女に渡す。
「へぇ、エラい人なんですねぇ」
「ふっ、まあな」
そんな彼女と、タクミはそのままホテルに入った。
翌朝──
目を覚ましたタクミは、ベッドの隣の顔を見て、凍りついた。
「……お、お前……」
「おはようございます、塾長。びっくりしました?昔はもっと髪、短かったですけど」
かつての教え子だった。
タクミは、静かに服を着て部屋を後にした。
一方、その数日後──
教育業界に衝撃が走る。
関東学力増進機構(カンゾウ)が、資金繰りの悪化により、突如として倒産。
「東大・早慶合格実績多数」と喧伝していた中堅予備校が、なぜ?
多くのメディアが、倒産の原因を調べ始めた。
その中で浮かび上がったのが、かつて“代表取締役で塾長”を務めていた男──島田タクミの存在だった。
帝国データバンクや商工リサーチの記者が帳簿を精査してみると、退任直前に経理部が不自然な動きをしていたこと、外部講師料や研修費に紛れて、数百万円単位の資金が消えていたことが明らかになった。
『週刊文潮』の記者が嗅ぎつけるのに、時間はかからなかった。
──そして、ついに、火蓋が切られる。
第9話へつづく