第5話からのつづき
──春。
その日、塾長室のドアがノックされた。
「失礼します。体験授業を申し込みました、佐野原リリカです」
カンゾウの塾長・島田タクミは、チラッと顔を上げた。
長い髪をひとつに結び、真っすぐな瞳をこちらに向ける少女。アイドルのような──というか、どこかで見たような。
「お前……芸能やってたろ」
「はい。中学までは、芸能活動してました」
──佐野原リリカ。
一時はアイドルグループのセンターを務めていた「光の子」のひとり。
だが進学先の高校は芸能活動禁止。以降、芸能界からは一時撤退。
今はダンス部で汗を流し、成績も上位。進学志望は──某・難関女子大の「総合政策学部」。
「社会貢献活動に興味があって……。将来は、自分の経験と知名度を活かした活動がしたいんです」
そう語る彼女の顔は、純粋だった。
タクミは紙巻きタバコに火をつけながら、ふんぞり返って言った。
「なるほどな。推薦入試、受けるつもりか?」
「はい。公募型でチャレンジしてみようと思ってます。でも倍率が高くて……」
「任せとけ。“学力”より“演出力”だ」
リリカはきょとんとした顔をした。
──島田タクミの“演出”が、始まった。
最初に行われたのは「お辞儀の訓練」。
「いいかリリカ。“アイドルのお辞儀”じゃダメだ。“北朝鮮の人民”になったつもりでやれ。背筋は一直線、首の角度は45度。いったん止まれ。ゆっくり戻れ」
「はいっ!」
「声が甘い!戦前の日本軍の気合いで“ハイッ!!”だ!」
「ハイッ!!」
──軍隊か宗教か。リリカの礼儀は日に日にビシッとしていった。
続いて、“面接対応”の調整。
「椅子の座り方!浅く座れ!背筋!もっと伸ばせ!笑うな!“親しみやすい表情”だ!」
「……はい!」
「ほら、そこ。腕の位置!肘がテーブルに乗ってんだよ。いいか、もう一度。お辞儀!はい、体を、こうだ、こうっ!」
タクミは、必要以上にリリカの肩、背中、腰に触れながら、ぐいぐいと“指導”を入れた。
(ちょっと……ベタベタ触りすぎじゃ……)
そう思いながらも、リリカは文句ひとつ言わず耐えた。
いや、タクミの指導の“効果”を感じていたのかもしれない。
次に始まったのは、“小論文対策”。
「志望理由に“自分の気持ち”とか“思い出話”なんていらねぇ。“大学の傾向”を先読みするんだよ」
「でも……私、何を書けばいいか……」
「その大学がゼミで使ってる課題図書がある。うちの卒業生がコピー持ってる。それを読み込め」
さらに──
「これはその大学の教授に褒められた学生が書いた卒論のコピーだ。“内容”じゃない。“考え方”の癖を写せ。夜寝る前に10ページ音読して、書き写せ」
「写すだけでいいんですか?」
「いいんだよ。知らないことをゼロから考えるのは時間の無駄。“あの大学が求める頭”を、自分の中にインストールしろ。そうすりゃ、試験で“それっぽい文章”が自然に出てくる」
──タクミの“我田引水メソッド”は、こうして身体に刷り込まれていった。
模擬面接でも、島田は容赦ない。
「よしリリカ、“社会貢献に興味があります”って言ってみろ」
「はい。私はこれまでの芸能活動の経験を通じて──」
「ダメだ!」
「えっ?」
「“芸能活動”ってワードは軽い。“情報発信”だ。“メディアリテラシー”だ。“公共性”とか言っとけ」
「は、はいっ!」
「よし、その“はいっ”は合格だ」
タクミは満足そうにタバコをふかしながらつぶやいた。
「……元々、牛すじみてぇな上玉だったが、将来はフォアグラに化けるかもな」
「え?」
「いや、独り言だ」
そして、本番。
倍率20倍を超える狭き門。
試験前、タクミは最後にこう言った。
「課題文は関係ねぇ。途中展開はどうでもいい。大事なのは“最後の結論”を教授の好みに寄せてくることだ。自分の話を捻じ込め。面接は演技。お前は“女優”なんだからな」
「……はい!」
数週間後、合格通知が届いた。
リリカは泣いていた。
「塾長……本当に、ありがとうございました……!」
タクミはふんぞり返って、煙を吐いた。
「推薦ってのは、“努力の量”じゃねぇ。“的中率”だ。──お前は見事に当てたってわけだ」
帰り際、リリカが深々と礼をした。
タクミはその姿を見送りながら、紙巻きタバコに火をつけた。
「ま、フォアグラが焦げずに火入れ成功……ってとこだな」
第8話へつづく