第7話からのつづき
──春先のことだった。
「こんにちは。体験授業を申し込みました、森村ヒナタです」
カンゾウの塾長室のドアが開いた。
島田タクミは、椅子にもたれたままチラリと顔を上げる。
高校の制服に、黒髪ストレートの真面目そうな女子生徒──。
「で? 志望校は?」
「○○女子大の文学部を第一志望にしています」
「なんでまた?」
「マスコミ志望なんです。できれば出版社か、テレビ局……」
「なるほど、“ちくわぶ”志望か」
「え?」
タクミはふんぞり返って、紙巻きタバコに火をつけた。
「お前、マスコミって言ったってよ、そんな甘くねぇぞ。たしかに出版社もテレビ局も給料はいい。だが倍率がとんでもなく高い。 で、女子大の“マス研”にでも入るつもりか?」
「え? はい……そういう予定ですけど……」
「やめとけ。あれはな、夕刊紙とか通信社とか、地味~なとこにしか就職できねぇ。下手すりゃ“意識高い系”の痛い奴って思われて敬遠されるリスクすらある」
「……」
「編集者にでもなりたいってわけか_」
「あっ、はい、そのとおりです」
「編集者ってのは、作家や芸能人の“生活サイクル”に合わせて動く。終電、徹夜、休日出勤は当たり前。原稿もらえるまで、電話して、メールして、頭下げて── 。挙句に“お前が書けよ”ってキレられることもある。しかも、本が売れなきゃ企画会議で吊し上げだ。お前、そんなのになりたいのか?」
「……」
「最近じゃ人気アイドルのマネージャーが半年で8人辞めたって話があっただろ? あれと似たようなもんだ。傲慢でワガママな“作家センセイ”のご機嫌取りだ。そんなのに媚びへつらって、“はい、原稿ですぅ~”とかって── お前、そんな“ちくわぶ”みたいな裏方人生でいいのか?」
「……」
「ヒナタ、お前は“餅巾”になれ。作家になれ。脚光を浴びろ」
「でも……私、作家になんて……」
「だったら、“理系に行け”。──医学部だ」
「ええっ!?」
「お前の成績なら、1年本気出せば地方の国立の医学部くらい狙える。しかもな、医学部ってのは“人間のネタの宝庫”だ」
「ネタ……ですか?」
「医者には世間知らずのボンボン、成金の子、破廉恥な教授、実習中にナースとコソコソやってるバカ医者──。病院の中ってのはな、“白い巨塔”ってドラマよりずっとドロドロしてんだ」
「……」
「それにな、“売れる小説”ってのは、警察か医者が絡んでる。ドラマでも刑事モノ、医療モノ、法廷モノ──毎クール、必ずやってるだろ。なぜかわかるか?」
「…えっと、わかりません」
「それは“人が死ぬ”か“大金が動く”ストーリーだからだ。人が死んだり大金が動けば、“人は泣く”。“人が争う”。つまり大衆のゲスな好奇心を刺激し満たす”ドラマがある”からだ。」
「は、はぁ…」
「海堂尊、知念実希人、知ってるだろ? ベストセラー作家だ。奴らも医者だ。」
「……。」
「ヒナタ、お前は物語を作れる女だ。なら、その舞台に“自分”が立て。 人に媚びて文章を“もらう”んじゃねぇ。“自分”で書け。お前が書け!」
──その言葉が、ヒナタの心に火をつけた。
彼女はその日から猛烈に勉強を始めた。
「編集志望」から一転、「医学部志望」へ。
「文転」は珍しくないが、ヒナタの場合は「理転」である。
──1年後、旧帝大クラスの国立医学部に合格。
周囲は驚いた。
入学後も彼女は黙々と勉強を続けた。
意外にも楽しかったからである。
医学部は予想以上にネタの宝庫だった。
実習先でも人間観察を怠らなかった。
医局では理不尽で見苦しい派閥争いを記録した。
病棟では下世話な噂話もストックした。
──そして、数年後。
「セクハラドクター」シリーズがベストセラーとなり、テレビドラマ化もされた。
口が悪く、女好きで、エラそうで、声がデカくて── 「俺はな、かつて“名誉総長”と呼ばれた男なんだよ!」と飲み屋で豪語する、セクハラぎりぎりの破天荒医師が主人公。
そのキャラクターのモデルが誰なのか──
ヒナタはクスリと笑う。
彼女の中では、言うまでもなかった。
第10話へつづく