第10話(終):坂井ダイスケの出世

第9話からのつづき

──その少年の名は、坂井ダイスケ。
下町の底辺高校に通う高校3年生。

成績は、下から数えた方が早い。
進路希望は「大学ならどこでも」と書き、担任から苦笑された。

しかも、ダイスケの家は貧しかった。
父はトラック運転手、母はスーパーのレジ打ち。弟と妹がいて、大学の学費なんて夢のまた夢だった。

そんなダイスケがカンゾウに通えているのは、母方の祖父が学費を援助してくれたからだ。

「でも、ウチの親、学費が安いなら国立がいいって言ってて……」

そう言って、カンゾウにやって来た。

「お前、偏差値、いくつだっけ?」

島田タクミは、タバコに火をつけながら聞いた。

「……35くらいです」

「上等だ。──お前、“大学の選び方”を知らねぇな?」

「え……?」

「国立は学費が安い。その通りだ。だが、国立は科目が多すぎる! お前みたいなバカには無理だ」

「うっ……」

「だが、私立は学費が高い。──だったら、どうする?」

「……え?」

「“特待生”になれ。学費免除だ。大学は金が欲しい。入ってくれるだけでありがたい大学だってある。──狙い目は“中国地方の新設私大”だ!」

「ちゅ……中国地方……?」

「広島、岡山、山口あたりだ。あの辺の大学、最近は中国やらアジアやら留学生だらけだ。入学しても講義には出ねぇ。神戸や大阪で出稼ぎ、水商売よ。学問が目的じゃねぇ。在留資格を取得するために大学に在籍するってわけよ」

「はぁ……」

「つまり、そんな大学の講義に出て、レポート出せば、成績は上位。──つまり、偏差値30代のお前でもエースになれるってことだ!」

「……マジすか」

「しかも、新設学部なら実績ゼロだから志願者も少ねぇ。ライバルがいない。──狙い目だ」

「……なんて学部ですか?」

「たとえば、観光文化創生学部。──なんか響きはよさそうだが、実態はよくわからん。だが、入れる。下駄を履かせてもらえる可能性が高い。大学側も人が欲しいんだからな」

──タクミがこの作戦を思いついた理由は、別に深いものではない。

数日前、歌舞伎町の中華キャバクラで、中国人のママに高いボトルを入れさせられたから、つまり、ぼったくられたからである。

「クソ、中国人め……お前、奴らに勝て。中国人より成績を取れ!」

「……ハイッ!」

「入学したら、とにかく出席! レポート! 講義には最前列で出ろ。教授が言ったことは、全部メモれ!」

「……全部っすか」

「“この味噌汁、ちょっとぬるいな”って独り言もメモれ!」

「それ、授業っすか?」

「いいから書け! 教授に気に入られろ。学内成績上位者になれば、学費免除。──さらに“就職推薦”ももらえる」

「……神じゃん」

「いいか、大学ってのは“進学校の奴らが行く場所”じゃねぇ。“行ったやつが勝ち”なんだよ!」

──こうして、坂井ダイスケは中国地方の無名私大、観光文化創生学部を受験。

結果──
合格、特待生認定、学費全額免除。

「“成績優秀者は掲示されます”っていうんで見てみたら、オレの名前載ってたんスよ」

入学後、ダイスケは毎日真面目に授業に出た。

教授の冗談すらメモった。レポートは全部ワードで図表付き。

最初は「ちょっと変なやつ」扱いだったが、気づけばゼミの座長。

教授から「君、うち残らないか?」と声をかけられた。

──その後、大学院へ進学。助手、助教、講師……そして准教授に。

ダイスケの研究は「温泉地の観光資源再生モデル」。

誰も注目していなかった分野だったが、地域の新聞で取り上げられ、やがてテレビ出演へ。

「観光×地方創生の第一人者」として業界で名を馳せる。

現在は某大学の観光学部教授。文科省の観光振興会議の委員を務め、著書は累計20万部突破。

講演料は1回30万円。

だが、彼の口ぐせはこうだ。

「──自分、もともと偏差値35なんスよ」

そして、もうひとつ──

「“歌舞伎町の中国人バーでぼったくられたから”って理由で進路を決められたんスよ」

彼の本の“謝辞”には、こう記されている。

「人生には、出汁が染みるまでの“火加減”が必要だ。──牛すじおでんのように。島田巧先生に感謝を込めて」

タクミは、ふんぞり返り、缶ビールを開けた。

「……まさか、あのバカが教授になるとはな。ちくわぶどころか、味しみた牛すじじゃねぇか」

ーひとまず完ー

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