第9話からのつづき
──その少年の名は、坂井ダイスケ。
下町の底辺高校に通う高校3年生。
成績は、下から数えた方が早い。
進路希望は「大学ならどこでも」と書き、担任から苦笑された。
しかも、ダイスケの家は貧しかった。
父はトラック運転手、母はスーパーのレジ打ち。弟と妹がいて、大学の学費なんて夢のまた夢だった。
そんなダイスケがカンゾウに通えているのは、母方の祖父が学費を援助してくれたからだ。
「でも、ウチの親、学費が安いなら国立がいいって言ってて……」
そう言って、カンゾウにやって来た。
「お前、偏差値、いくつだっけ?」
島田タクミは、タバコに火をつけながら聞いた。
「……35くらいです」
「上等だ。──お前、“大学の選び方”を知らねぇな?」
「え……?」
「国立は学費が安い。その通りだ。だが、国立は科目が多すぎる! お前みたいなバカには無理だ」
「うっ……」
「だが、私立は学費が高い。──だったら、どうする?」
「……え?」
「“特待生”になれ。学費免除だ。大学は金が欲しい。入ってくれるだけでありがたい大学だってある。──狙い目は“中国地方の新設私大”だ!」
「ちゅ……中国地方……?」
「広島、岡山、山口あたりだ。あの辺の大学、最近は中国やらアジアやら留学生だらけだ。入学しても講義には出ねぇ。神戸や大阪で出稼ぎ、水商売よ。学問が目的じゃねぇ。在留資格を取得するために大学に在籍するってわけよ」
「はぁ……」
「つまり、そんな大学の講義に出て、レポート出せば、成績は上位。──つまり、偏差値30代のお前でもエースになれるってことだ!」
「……マジすか」
「しかも、新設学部なら実績ゼロだから志願者も少ねぇ。ライバルがいない。──狙い目だ」
「……なんて学部ですか?」
「たとえば、観光文化創生学部。──なんか響きはよさそうだが、実態はよくわからん。だが、入れる。下駄を履かせてもらえる可能性が高い。大学側も人が欲しいんだからな」
──タクミがこの作戦を思いついた理由は、別に深いものではない。
数日前、歌舞伎町の中華キャバクラで、中国人のママに高いボトルを入れさせられたから、つまり、ぼったくられたからである。
「クソ、中国人め……お前、奴らに勝て。中国人より成績を取れ!」
「……ハイッ!」
「入学したら、とにかく出席! レポート! 講義には最前列で出ろ。教授が言ったことは、全部メモれ!」
「……全部っすか」
「“この味噌汁、ちょっとぬるいな”って独り言もメモれ!」
「それ、授業っすか?」
「いいから書け! 教授に気に入られろ。学内成績上位者になれば、学費免除。──さらに“就職推薦”ももらえる」
「……神じゃん」
「いいか、大学ってのは“進学校の奴らが行く場所”じゃねぇ。“行ったやつが勝ち”なんだよ!」
──こうして、坂井ダイスケは中国地方の無名私大、観光文化創生学部を受験。
結果──
合格、特待生認定、学費全額免除。
「“成績優秀者は掲示されます”っていうんで見てみたら、オレの名前載ってたんスよ」
入学後、ダイスケは毎日真面目に授業に出た。
教授の冗談すらメモった。レポートは全部ワードで図表付き。
最初は「ちょっと変なやつ」扱いだったが、気づけばゼミの座長。
教授から「君、うち残らないか?」と声をかけられた。
──その後、大学院へ進学。助手、助教、講師……そして准教授に。
ダイスケの研究は「温泉地の観光資源再生モデル」。
誰も注目していなかった分野だったが、地域の新聞で取り上げられ、やがてテレビ出演へ。
「観光×地方創生の第一人者」として業界で名を馳せる。
現在は某大学の観光学部教授。文科省の観光振興会議の委員を務め、著書は累計20万部突破。
講演料は1回30万円。
だが、彼の口ぐせはこうだ。
「──自分、もともと偏差値35なんスよ」
そして、もうひとつ──
「“歌舞伎町の中国人バーでぼったくられたから”って理由で進路を決められたんスよ」
彼の本の“謝辞”には、こう記されている。
「人生には、出汁が染みるまでの“火加減”が必要だ。──牛すじおでんのように。島田巧先生に感謝を込めて」
タクミは、ふんぞり返り、缶ビールを開けた。
「……まさか、あのバカが教授になるとはな。ちくわぶどころか、味しみた牛すじじゃねぇか」
ーひとまず完ー
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