第1話:無理してる人々

──JR池袋駅からバスで7分。
北池袋にある伊東予備校・池袋校の事務室。

「……また島田先生、やらかしたらしいよ」

休憩中、同僚の女性スタッフが囁く。

沢田ユウコは、パソコンの画面から目を離さないまま、相槌だけ打った。

「へぇ」

「なんか、講師室でえらそうに『進路はな、ちくわぶだ、餅巾着だ』とか演説して、生徒の志望校を勝手に変えさせたとか……」

「へぇ」

──心の中ではこう思っていた。
(思いつきで人の人生コース変えるなよ……)

島田タクミ。

「カンゾウ」という中堅予備校の塾長。
名物男とやらで、時々噂話が流れてくる。

(無理して自分を大きく見せようとするの、ほんと好きだよな……)

別に怒っているわけではない。
ただ、理解不能だった。

無理して自分を大きく見せようとする人間を見ると、ユウコはいつも冷ややかな気持ちになる。
(羊なのに、無理に狼のふりして、疲れないのかな)

夕方、事務室に権藤龍太郎(ごんどう・りゅうたろう)がやってきた。

「お疲れさまですゥ~。あ、ユウコさん、これ差し入れ。よかったらァ」

不自然なまでに丁寧な態度。

ゴンドウは、教務部長の徳富典子(とくとみのりこ)の腰巾着だった。

最近では、裏で生徒の個人情報を横流ししてるって噂もある。

社内では、「ゴンドウさんって、マジでヤバいよな」「バレたらヤバいんじゃね?」
──そんな声もちらほら聞こえてくる。

ユウコは、缶コーヒーを受け取って、にこやかに礼を言った。

心の中でだけ、こう呟く。
(これって、「ふつうに犯罪」なんだけどね……)

でも、別に告発する気もない。

どうせ、もし摘発されても、せいぜい注意か罰金止まりだ。
仮に捕まっても、反省せずにまた同じことを繰り返すだろう。

(正義感振りかざして、こっちがエネルギー使うだけバカらしい)

だから、ユウコは何もしない。
自分の仕事を粛々とこなし、定時に帰るだけだった。

──昼休み。

スマホでバス旅のサイトを眺める。

(今度の平日休み、どこ行こうかな。箱根? 群馬?)

日帰りで行ける温泉を探していると、ふと隣で誰かが言った。

「やっぱさぁ、今の時代、自己プロデュース力って大事だよな!」

学生アルバイトの男子だった。

SNSでリア充アピール、フォロワー数自慢、ストーリー投稿のマウント合戦──

彼らもまた、必死で無理していた。

(……まあ、せいぜい頑張って)

ユウコは心の中でだけエールを送った。

そして思った。

──無理してもいい。背伸びしてもいい。
でも、そのうち息切れする。
羊は羊らしく、草を食べてた方が楽なのに。

そんなことを、誰にも言わず、黙って温泉バス旅のページを閉じた。

第2話へつづく