イカルガ塾、講師控室前。
廊下の壁には、講師一覧が掲示されていた。
ゴンドウは立ち止まり、そのパネルをじっと見つめた。
──何だこれ。
顔写真と名前、そして出身大学や経歴が、洗練されたデザインで並んでいる。
だが、記載されている内容が尋常ではなかった。
「元吉本興業所属 芸人」「地方局アナウンサー経験者」「早稲田政経卒・現役プロダクション契約タレント」「外資系コンサル海外駐在帰り」「元陸上自衛隊心理幹部」──。
「……芸人?アナウンサー?ホストもいるのか……」
思わず声が漏れる。
塾講師といえば、地味で華がない男たち。
もちろんカリスマ講師と呼ばれる人種も少なからず存在するが、そのような華のある人間は正直、希少種だ。
授業では声を張り、年下の受験生には偉そうにマウントを取る講師もいるかもしれないが、それが対大人となると猫を被ったように大人しくなる。敬語の使い方も名刺交換もろくに出来ず、たまに着るスーツのネクタイの結び方もなっていない。
自由・気ままを満喫する自由と裏腹に、一般的な社会人が身につけている社会性といったものが欠落している。
ゴンドウが知る限り、塾・予備校講師の大半はそれが一般的だった。
勉強だけが取り柄で、社会性がなく、就活に失敗して仕方なく予備校講師をしているような連中。生徒や親には“先生”と呼ばれて調子に乗っているが、同世代には相手にされない──
それが、ゴンドウの予備校講師に対する固定観念だった。
だが、目の前のパネルは、その概念を粉々に打ち砕いていく。
「……あの」
背後から声がした。
振り返ると、館長・ウルシベが微笑みながら立っていた。
和装の裾を整え、柔らかな微笑みを浮かべている。
「驚かれましたか?」
「……は、はい……なんというか……普通じゃないですね」
ウルシベは微かに笑った。
「この講師たちは、ただ“教える技術”だけで選ばれているわけではありません。AIがどれだけ最適化しても、最終的に生徒の心を動かすのは“魅力ある人間”ですからな」
廊下の窓から、午後の柔らかい陽光が差し込む。
「もちろん、教える内容や教え方も徹底的に訓練します。しかし、それ以上に大切なのは……“この人に会いたい”と思わせることです」
ゴンドウは唾を飲み込んだ。
──島田も講師は芸人だと言っていたが……
──こっちは、芸人以上の芸人じゃねぇか……。
漆部が壁のパネルを指さす。
「例えばこの者。杉塾を10教室黒字経営する男ですが、彼は元売れっ子ホストです。ホストがトップを取るには、頭脳と人心掌握が不可欠ですからな」
さらりと告げるウルシベ。
「もし、彼が斑鳩で教える意思があるなら……採用も検討しています」
──なんなんだここは。
ゴンドウは頭がくらくらするのを感じた。
予備校講師は、勉強だけできる負け犬。
社会不適合者。
それがゴンドウの中の定義だった。
だが──
ここには、そんな講師は一人もいない。
「俺が知ってる“講師”はいない……」
そう呟いた自分の声が、やけに遠く聞こえた。
廊下の先にあるガラス張りの教室。
ゴンドウは、漆部に促されるまま足を踏み入れた。
目の前に広がっていたのは──
自分の想像をはるかに超える授業風景だった。
ホワイトボードの前には、スーツ姿の講師。
身振り手振りを交え、まるでTEDのプレゼンテーターのように堂々と語っている。
「医学部面接で大切なのは、医師としての“責任”と“覚悟”を言語化することです!」
モニターには、生徒一人ひとりの表情がアップで映し出されている。
教室後方に設置されたカメラが、リアルタイムで生徒の微表情解析をしていた。
「表情から集中度や理解度をAIが分析しているんですよ」とウルシベが説明する。
一方、別の教室では──
短髪の男性が、生徒たちを前に静かに語っていた。
彼の胸には「心理幹部(元陸上自衛隊)」と書かれたネームプレート。
「ストレスは、目標と現実のギャップから生まれます。そのギャップをどのように埋めるか……ここからが勝負です」
モニターには、心理状態を数値化したグラフが表示され、生徒たちは真剣な眼差しで聞き入っている。
「心を壊さずに挑戦し続ける。これが合格する者と、折れる者の違いです」
授業が終わると、生徒たちは講師に駆け寄り、質問を投げかけていた。
その表情には、不安ではなく希望があった。
ゴンドウは思った。
──AIがカリキュラムを最適化して、
──人間が“魅力”で心を動かす。
このハイブリッドが、斑鳩塾の強さなのかもしれない。
廊下を歩きながら、ウルシベがふと立ち止まった。
「AIにできないことがあります。それは、人を魅了することです」
その言葉が、ゴンドウの胸に深く突き刺さった。
第5話へつづく