第8話:茶室にて

翌朝。

奈良盆地の夜明けは遅く、斑鳩の空はまだ藍色を帯びていた。
旅館の部屋の障子越しに、うっすらと朝の光が差し込み始める。

ゴンドウは枕元のスマホを確認した。
時刻はまだ午前6時前。

(……まだこんな時間かよ)

昨夜の【斑鳩荘】での会席料理と鷹長の余韻が、喉奥に微かに残っている。

朝食を終えると、例の黒塗りのレクサスが迎えに来た。
運転席のスタッフが、いつものように無言で頭を下げる。
後部座席には、すでに和装のウルシベが乗り込んでいた。

「おはようございます、ゴンドウ様」

「お、おはようございます……」

車は再び斑鳩塾へ向かうのかと思いきや、途中で脇道に逸れた。

到着したのは、法隆寺にほど近い小高い丘の上。
苔むした石段を登ると、樹齢数百年はあろうかという老松に囲まれた茶室が現れた。

「どうぞ」

ウルシベが先に草履を脱ぎ、低い躙り口をくぐる。
ゴンドウもぎこちなく続いた。

中は四畳半の簡素な茶室だった。
炉には薄茶が点てられ、夏の掛け軸には「閑坐聴松風(かんざしてしょうふうをきく)」と墨跡があった。

ウルシベは畳に正座し、静かに茶碗を回す。

「……昨夜は失礼しました。伊賀肉、お口に合いましたか?」

「は、はい……滅多に食えるもんじゃないです……」

「奈良という土地は、古から多くの“武人”を輩出してきました」

ウルシベは茶碗を置き、ふと目を伏せる。

「藤原氏も、平家も、そして源氏も──。彼らは武で世を制しましたが、同時に“学び”も怠らなかった」

障子越しに朝日が射し込み、彼の横顔を金色に縁取った。

「武と学は両輪です。……学びだけでは、世は動かせない。しかし武だけでは、己を磨けない」

ゴンドウは黙って聞いていた。

「私どもの塾は、学力を高めるだけの場ではありません。己の心を磨き、社会に仕える覚悟を育てる場です」

茶室に、静かに風鈴が鳴った。
ウルシベの声は、囁きのように淡く、それでいて凛としていた。

「……昨今、東京の予備校は“偏差値工場”になり下がりました。しかし、斑鳩は“人間”を育てます」

立ち上がったウルシベは、茶室の障子をゆっくりと開け放つ。
そこから見えたのは、朝陽に輝く法隆寺の五重塔だった。

「……さて、本日は少し遠出をいたしましょうか」

ゴンドウが小さく頷く。

ウルシベは、茶道具を丁寧に片付けながら言った。

「帰りの新幹線は、明日の夜で手配しております。……ご安心ください。ご滞在中は、全て私どもで用意いたしますので」

穏やかな声ではあるが、そこには決して逆らえない、底知れぬ威圧感があった。

つづく