第1話:べつに頑張ってないから

私は思う。
人には「大」か「小」しかいない。

時々「中」もいるが滅多にいない。「大」なんて絶滅危惧種だ。

小学二年のとき。
授業中に担任から言われた。

「クロイワさんはいつもテストでいい点数とってえらいね。いっぱい勉強頑張ってるんだね」

私は教室の前に立たされていた。
賞賛のための公開処刑。

どうして褒めるのに立たせるんだろう。意味がわからなかった。

「いいえ、私頑張ってません」

先生は困ったように笑った。

「でも教科書とか先生が黒板に書いたことを頑張って覚えているから成績いいんだよね。素晴らしいですね、皆さんもクロイワさんのように頑張りましょう」

私は言った。

「私、全然頑張ってません。だって先生の黒板とか教科書とか、一回見れば大体覚えちゃうから。みんな、なんでそんな簡単なことで苦労してるんだろう?」

空気が凍った。

隣の席の女子はシャーペンを握りしめたまま動かなくなり、男子は俯いて机の落書きを消しゴムで擦り潰していた。

ああ、これ言っちゃいけないやつだったんだ。
その日から、私は“苦労してるフリ”を覚えた。

小学生の頃から勘が良かった。
努力家なんかじゃない。
ただ、要点と核心を捉えるのが人より少し速いだけ。

親は私を“賢い子”だと思っていた。

でも私は知っていた。
私は努力ができないだけだ。
だって、努力なんかしなくても大体わかるんだから。

そんな私が受けた中学は、東京の女子校で“新御三家”と呼ばれる偏差値上昇中の学校だった。
桜蔭、女子学院、雙葉。
その次に続くポジション。

塾の先生から「死ぬほど努力しないと合格しませんよ」と言われている御三家の受験は最初から避けた。
だって、死ぬほどの努力なんて、死んでもできないから。

合格発表の日。
母親が泣きながら言った。

「ミサキ、本当にすごいね!頑張ったもんね!」

私は笑って頷いたけど、心の中ではこう思った。

(……別に。頑張ってないよ)

そんなことより、その日の夜ごはんの方が気になった。

母は鯛の塩焼きを用意していた。
祝い事の定番。

私は思った。

(これからの人生、私は何回“すごいね”って言われるんだろう。そして、何回“頑張ったね”って言われるんだろう)

頑張ってないことを褒められるほど、退屈なことはない。

第2話へつづく