大学という鳥籠がつまらなかったから、私は、街に出た。
“働く”という行為には、何か違う刺激があるんじゃないか──
そんな期待も、ほんの少しだけあった。
けれども。
*
最初に入ったのは、タリーバックスだった。
このカフェのバイトは基本紹介制。“狭き門”らしい。
だからこそ、スタッフには妙な「選ばれし者」意識が漂っていた。
「ここで働いてる自分」に酔いたい大学生が集まる、意識高い系の巣窟。
中の人たちは「タリバ」って略してたけど、私にとっては「タルい場所」、略してタルバだった。
研修初日。隣でドリンクを作っていた女の子が言った。
「やっぱさ〜、タリバってブランドに誇り持てるよね」
「わたし、ここの接客を通じて、グローバルに通じる人間力を磨きたくて!」
──で、あなたのラテ、こぼれてますけど?
選民意識だけ高い人間は、苦手だ。
何もできないのに、特別ぶるのが一番めんどくさい。
そんな空気の中で、私は“苦労してるフリ”をする気にもなれず、2週間で辞めた。
*
次はアパレルだった。
「ミサキちゃんって“雰囲気美人”だから、ブランド映えするよ〜♡」
そう言った先輩スタッフは、休憩中にずっと他のスタッフの悪口をLINEで共有していた。
「ねえ聞いて。あの子、“ガチすっぴん詐欺”って呼ばれてるんだよ」
“サバサバ系”という名の、湿気た人間。
──3週間で辞めた。
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その次は、チェーン系の居酒屋だった。
店長は、社員。
だけど実態は「厨房に巣食うナマケモノ」だった。
接客もオーダーも、苦学生の外国人アルバイトに丸投げ。
ミスやクレームがあると、なぜか私に出ろと言う。
自分は厨房の奥で、余った食材を調理して一人飯。
「○○くん、もっと早く出してよ」
「ミスしたら皿洗い追加ね〜」
外国人スタッフにだけは、やけに偉そうだった。
私はiPhoneをそっと構え、その厨房での“優雅なディナー風景”を動画で押さえた。
その夜、本社のお問い合わせフォームに貼り付けて送った。
そして翌日辞めた。
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そのあとは、塾講師。
それなりの進学塾、のようだ。
大学名で採用されたのだろう。
でも、講師室は“脱落した元優等生”たちの吹き溜まりだった。
「やっぱり文法から叩き直さないとね」
「今の生徒は素直じゃない。昔はもっと熱意があった」
お決まりの“自分が生徒だった頃”トーク。
“俺は教え方を分かっている”マウント合戦。
それ、10年言い続けて何も変わってない時点で、あなたが変わってないんだよ。
2ヶ月で辞めた。
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どこも似ていた。
期待して入った分だけ、失望の総量も大きかった。
人ってこんなに、自分を大きく見せないと生きていけないのか。
「向上心」じゃない。
「誇大妄想」だ。
「自己肯定感」じゃない。
「過剰補正」だ。
面白くなるかも、と期待して入ったバイトの数だけ、仕事への興味が摩耗していった。
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そんなある夜。
私はNOTEを開設した。
匿名アカウント。
顔は出さない。
アイコンは、カフェラテを持つ自分の手元──爪はヌーディーベージュ。
タイトルはこうつけた。
「某女子大生のザンネン人間ウォッチング」
初回は、例の居酒屋店長について書いた。
「指導する立場としての自覚」……と言ってた店長が、余ったハンバーグで一人ステーキごっこしてた日の話。
本社に送った動画、その後どうなったかは知らない。知る気もない。
投稿してすぐは、特に何も起きなかった。
でも、数日後から、コメントと“スキ”がじわじわ増え始めた。
「あるある」
「笑った」
「こういう人マジでいる」
書くと、脳が軽くなった。
吐き出すって、案外、大事なことなんだと知った。
反響が来ると、ネタ探しの目線が強くなった。
通学中、大学、バイト先、カフェ……。
街行く人の会話や仕草に、自然とアンテナが立つようになった。
道端に落ちてる石ころみたいなザンネン人たち。
それを拾って磨く行為は、少しだけ中毒性があった。
*
そんな秋の日。
『月刊文潮』編集部から、DMが来た。
はじめまして。『月刊文潮』編集部の望月と申します。
NOTE、たまたま読んで一気にハマりました。
文章のキレと観察眼が抜群で、定期連載のご相談をさせていただきたいです。
匿名で大丈夫です。
「女子大生が書く現代人物観察記」、今の読者ニーズに刺さる気がしています。
私はスマホをしばらく見つめて、スリープボタンを軽く押した。
なんだろう。
心が、少しだけ浮いた。
でもそれは、承認欲求が満たされたわけじゃない。
「もっと面白い素材が欲しい」──その欲望に、火が点いた。
救う気はゼロ。
面白がりたいだけ。
ただ、“観察する価値がある人間”を見たい。
もっと濃くて、もっと深くて、笑えるような、
そんな存在を──私はずっと探している。
*
コメント欄に、こんな投稿があった。
「夜の街にこそ、素材はゴロゴロしてますよ」
「キャバクラやガールズバーなんて、人間図鑑そのものです」
私はその言葉を読んで、静かに目を細めた。
水商売か。
──なんか、面白そうじゃない?
お金がほしいわけじゃない。
モテたいわけでもない。
ただ、最高の“狩り場”がそこにある気がした。
やってみるか。
ちょっとだけ。
第4話へつづく