第5話:仮面とグラスと、観察記

大学3年の秋。私はキャバクラで働き始めた。

冷静に考えれば、遅すぎるとも言えるし、早すぎるとも言える。
でも、私の中では“ちょうどいいタイミング”だった。

なぜなら──
大学も、サークルも、バイトも。
全部、飽きたから。

NOTEの連載も、週刊文潮のコラムも、最初は新鮮だった。
でも、人間観察の“素材”がだんだん薄味になってきた。

もっと濃い人間を見たい。
もっと愚かで、もっと滑稽で、もっと自己愛に満ちた素材を──

それを探すなら、夜の街。
その答えはもう、出ていた。

バイト先は、高円寺のキャバクラ『不夜城』。

昼は大学生、夜は“高卒キャバ嬢”。
私は二重生活を始めた。

キャバクラで働いてみて、すぐに気づいたことがある。

──男は、“自分より下”の人間が大好きだということ。

「え、大学どこ?」
「学生さんなんだ?」
「へえ、どこの?」

最初の頃、つい上智って言いかけて、客の表情が凍ったことがあった。

「……あ、ごめん、ちょっとお手洗い……」

あからさまにトーンが落ちる。

どうやら“自分より上”の女は、彼らの酒をまずくするらしい。
それ以降、私は「高卒ってことにした」。
しかも「ちょっと頭が弱い子」くらいのキャラで演じることにした。

結果──

指名が、入る。
名刺が、出る。
ボトルが、空く。

「高卒なのに、話がわかるね」
「オレ、昔こういう子にハマったことあるわ〜」
……はいはい。

バカなふりって、最高のパフォーマンスなんだなと、心の底から思った。

演じることは、観察することとよく似ている。
相手をよく見るから、役になりきれる。
役になりきるから、もっとよく相手が見える。

私は、女優には向かないと思っていたけど、キャバ嬢という“舞台”では、なかなかいい演技ができていた。

カウンターのグラスの水滴、男たちの時計のチラ見せ、カウンセリングのような自己語り。
全部、ネタになった。

店が終わったら、自宅に戻り、化粧を落としてNOTEを開く。

連載コラム『某女子大生のザンネン人間ウォッチング』──
そこに“脚色”を加えて、記録する。

たまに批判も来た。

「女が男を見下すのはよくないと思います」
「あなたのコラム、ちょっと意地悪すぎませんか?」

──でも、それ以上に、

「いるいる、こういうの!」
「読んでてスカッとした」
「むしろ勉強になる」
「匿名でいいから、この人の正体知りたい」

そういう反応が多かった。

私は別に、社会を変えたいとか、意識を啓発したいとか、思っていない。
ただ、滑稽な人間が、滑稽なことをしている──
その事実を、ありのまま書いているだけ。

もちろん店や客が特定されないよう、名前も職業も場所も脚色してある。
でも、もし自分のことだと思う人がいたら、それは──
“そういうこと”なのかもしれない。

働き始めてから、生活は変わった。

日中の講義も、どうでもよかった“学生ごっこ”も、夜の観察と記録のための“背景”になった。

夜の街の方が、断然面白い。
口だけの社会貢献家も、自己啓発中毒の経営者志望も、年収マウントの見栄っ張りも、「俺、昔ワルだった」って顔してる小心者も──まとめて、私の“標本棚”に並べてある。

そして、大学4年生の初夏。
“そいつ”が来た。

あの夜のことは、今でも覚えてる。

「フリーで」って言って現れたその男は、安いウイスキーをちびちび舐めながら、私を見た。

「……お前、頭いいだろ?」

私は笑って、いつものセリフを返した。

「え〜、あたし高卒だし〜。バカなんで、むずかしいことわかんないですぅ〜」

その瞬間。
“ザンネン人間”とは、明らかに違う、別種の“何か”を感じた。

酒とタバコの煙の向こうで、あの男は、ニヤリと笑った。

──この先、面白くなりそうだ。

第6話へつづく