第7話:世界を広げる、フリ

「半年で、俺が大学生にしてやるよ」
島田タクミの口からそのセリフが出たとき、私はグラスを拭きながらこう思った。
(なんか、面白くなってきた)

私は決して自分から高卒と言い出したわけではない。
「高卒なんだってね」と言われたとき、「ええ、まあ」と返しただけだ。

それだけで男たちは安心する。
自分より“下”だと確信すると、みんな途端に饒舌になる。

女が「バカなフリ」をするのは、男が「賢いフリ」をして悦に入ってるのと、似たようなものだ。
その意味で、島田タクミは実に典型的な男だった。

──この女、育てりゃ化ける。
──受付に置けばパンフ映えする。
──大学生にしときゃ、堂々とメシに誘える。

彼の脳内で、私という存在は「中年男の欲望」や「哀しい見栄」のコラージュ素材として扱われていた。

それが可笑しくて、少し哀しくて、そしてとても興味深かった。
だから、乗ることにした。彼の描いた“感動ストーリー”に。

「半年で大学に入るバカな女」
──そのヒロイン役を、私が演じてあげる。

カンゾウという予備校の学費はタダにしてくれるようだし、大学受験料もシマダが負担してくれるそうだ。
さらに、今の大学卒業したら、また別な大学に行く、だから受験に専念すると親に言えば、面倒な就職活動もしなくて済む。

いいことづくめだ。
これに乗らない手はない。

指導はすぐに始まった。 まずは高卒認定。

「国語は都立高の過去問やっとけ。選択肢は“出題者の良心”が正解なんだよ」
そう言って得意げに赤ペンを握る。

「英語は中1からやればいい。あと社会は音読して細胞に刷り込め」
とにかく言葉のセンスが昭和だ。

問題は簡単すぎて、アクビが出そうになることだ。
少しやれば答えのパターンが読めてしまう。
でも私は、退屈を気取られないように感心した声で言った。

「へえ〜、そんな解き方あるんですねぇ〜」

ちゃんとアクビは噛み殺した。
馬鹿で素直な“高卒女子”という役を崩さないために。

「ミサキ、やっぱりお前、頭いいな」
「え〜、全然ですよぉ〜、私バカなんで〜」

タクミはそれを聞いてご満悦。
私の“成長”が彼の自尊心を膨らませていくのが、よくわかった。

その様子を見ながら、私は日々NOTEに非公開で記録をつけた。
“ザンネンな教育者”の研究ノート。

タイトルはまだ決まっていない。で
でも、いずれまとめて、連載にしてもいいかもしれない。

「答えはいつも、出題者の良心から始まるんだよ」
「高卒のくせに、よくここまで来たな。感動するわ」
「女の人生は、“学歴”って名の保険証だ」

彼の語録は、どれもこれも昭和のスナックのカウンターでしか聞けないような代物だった。
でも、私は演じ続けた。 馬鹿で、素直で、やる気があって、指導されるのが嬉しい“高卒女子”。

高卒というのは事実じゃないかもしれないが、島田タクミにとっては真実なのだ。
ただ、彼が見たい世界を、見せてあげているから。

タクミはもう、合格した後の妄想に浸っていた。

──この女、受付に置いたら映えるな。
──パンフレットの表紙にしてもいいかもしれない。
──焼肉は叙々苑か? いや、最初はおでん屋にしておくか。
──塾長権限でメシに誘う、週3で。

その妄想を聞かされる時間は退屈だけど、観察対象としては最高だった。

半年という期間も、ちょうどよかった。
それ以上はこっちの神経がもたない。

だから私は、演技を続けた。

第8話へつづく