第5話:スマートな志望動機

西新宿。

超高層ビル街の中にあるビル。
その34階にあるメディカルデラックスの応接室は、カフェのような香りと、静寂に包まれていた。

ダイキは、グレーのジャケットにノーネクタイ、濃紺のスラックスという“ビジネスカジュアル”で臨んだ。
自分なりに、清潔感と誠実さ、そして「やりすぎない余裕」を演出したつもりだった。

受付で名乗りを上げると、すぐに案内されたのは、ガラス越しに都庁が見下ろせる応接室。

数分後、ノックの音とともに、面接官が現れた。

「お待たせしました。人事責任者のエゾエです。どうぞ、よろしく」

そう名乗った男は、50代後半とおぼしき、知的な顔立ちをした人物だった。
名刺には執行役員・江添慎太郎と書かれている。

ダークネイビーのスーツに、癖のない白シャツ。
物腰は柔らかいが、眼差しは一瞬にして相手の観察ポイントを射抜く鋭さがあった。

「それでは、自己紹介からお願いできますか」
エゾエがソファに腰を下ろすと、そう静かに促した。

「はい。竹内大軌(たけうちだいき)と申します。一橋大学経済学部を卒業後、ベイカー・コンサルティング・ファームに入社し、企業再編や業務改革のプロジェクトに3年半ほど従事してきました。このたび、体調の都合で退職いたしましたが、社会に貢献できる実感を求める中で、教育の世界に関心を持つようになりました。特に御社のように、明確な成果と信頼を重視される環境に強く惹かれています」

丁寧で、淀みのない受け答え。声のトーンも、内容も、完璧に整えた、つもりだった。

エゾエは一度、目を伏せるようにしてペンを回しながら、こう尋ねた。

「なるほど。では、お聞きします。なぜ教育の中でも、医学部専門の予備校に関心を?」

「はい。率直に申し上げると、“成果が数値で見える教育”に関心があります。特に医学部受験は、生徒本人の人生もさることながら、保護者や家庭にとっても一大事業です。私は、そうした“高い期待と責任”が伴う世界にこそ、コンサルで培ってきた課題整理やコミュニケーションの力が活きると考えました」

エゾエは、静かに頷いた。
「なるほど。スマートですね。非常にロジカルで、説得力があります」

ダイキは、完全に「コンサル的な話法」でこの面接に臨んでいた。
“論点に答える”
“言葉は短く、構造は明確に”
“感情ではなく、理由と数字で語る”
そして、それが通用するという確信があった。

このオフィスビル。
西新宿の立地。
合格実績。
年間数百万の授業料。
ここには、前職と地続きの「合理と信頼の匂い」が漂っていた。

(…いける。ちゃんと刺さってる)

彼はそう思っていた。

エゾエは微笑を浮かべる。

「コンサルティングから教育業界へ、という方は、実は稀にいらっしゃいます。おっしゃるように、論理的思考や分析力、コミュニケーション能力が活きる場面も多い。実際、弊社でも元外資系出身の社員が数名おります。彼らの存在は、組織に刺激を与えてくれています」

言葉には、好意的な響きがあった。
だが、彼の笑みは“薄く”、どこかその奥で、観察を続けているようだった。

「ただ、これはあくまで一つの視点としてお伝えしたいのですが……教育の仕事は、必ずしもスマートに結果が出る世界ではないのです」

「と、言いますと…?」

ダイキが思わず身を乗り出す。

エゾエは、手帳のページをゆっくりめくりながら、こう言った。

「我々の仕事の多くは、“見えない不安”を言語化し、“言葉にならない焦り”を支えることにあります。医学部に合格する、というのはひとつのゴールですが、それに至るまでの道のりには、論理で整理できない“曖昧な時間”が存在します」

「曖昧な……時間、ですか」

エゾエは頷いた。

「はい。思春期の子どもたちは、知識を詰め込む以前に、まず“自分が何者か”に悩み、“親の期待”に押し潰され、“昨日の自分と今日の自分の違い”に戸惑っています。我々の担任の仕事とは、そうした“不確定な揺れ”の中で、日夜、生徒と向き合い続けることです。ロジックでは測れない日々なんですよ」

一瞬、ダイキの中で、ピンと張っていた糸のような何かが微かに揺れた。

前職では、一つのプロジェクトにおいて「成果」「納期」「数字」がすべてだった。
しかし、今ここで語られているのは、“揺れ”や“曖昧さ”を抱えることそのものを、仕事の本質とするような考え方。」

(……これは、教育なのか。予備校なのか。支援者としての立ち位置なのか)

エゾエの言葉は、ダイキに予備校という仕事の輪郭を、じわじわと描かせていた。

第6話へつづく